遊び心と江戸と春画
江戸っ子春画
デリケートな扱いを受け過ぎて、もっと公にされてもいいと思うのにそうなっていないジャンルの一つが、春画(しゅんが)です。
鳥居清長画
確かに春画の扱いは難しいです。
僕も念のためはてなさんに問い合わせして、「学術的、芸術的価値のあるものとして掲載するなら云々……」と解答を頂いたので書いてますが、どうしても母ちゃんの教育のお蔭か知りませんが背徳感が付きまといます。
さて。
春画のルーツは、中国の医学書であったと言います。
中国の上流階級の女性なんかが、夜の手引書として利用していたと考えられていますが、それが日本に輸入され、後に爆発的人気となるわけです。
戦国期まではお守りとして重宝されていた側面が強く、性行為を五穀豊穣の現れと捉えていた当時の時代背景も影響しています。
そしてちゃきちゃき時代になり、何でも「笑い」に変えてしまう江戸人達の間で、春画は「笑える」モノ、嗜好品として普及していきます。
このあたりの江戸っ子気質は本当にいいですよね。カラッとしているっつぅか。
江戸時代と言えば妖怪フィーバーの時代でもあり、貸本、黄表紙が花開く時代。この春画も、出版業界の文明開化に合わせて一つのジャンルとして確立されていったのです。
さらに、ある時期から春画は禁制品となるンですが、禁止されると反抗したくなるのが江戸っ子のタチ――なのかは解りませんが、禁制品となってからも様々な浮世絵師が春画を描き続け、しかも名前も隠号(目くらましのペンネーム)を使って描いてます。
そして意外と知られていない大事な事実として、
江戸時代の有名な浮世絵師はほぼ全員春画を描いています。
稿料も高く、食いつなぐのに仕方なく描いた浮世絵師もいるでしょうし、思いっきり楽しんで本性を発散させながら描いた浮世絵師もいるでしょう。
妖怪画や風景画を描くその裏で、ひっそりと春画を描いていたかと思うと涙が出ます。
誰の春画でSHOW
では、僕らも春画を江戸っ子に倣って最大限楽しみましょう。
春画とは笑える粋な画なのです。そして勉強の画でもあり、反骨の画でもあります。
「断固、わいせつな物などではない!」なんて言うのも野暮でしょう。
かといって、現代のエロ本と比較するのもまたおかしい。
江戸っ子がどのように春画を愛で、楽しんだか。それは僕等も斜に構えず江戸っ子になりきって「楽しんでみる」ことでしか解らない気がします。
この上の画像は全て鉄棒ぬらぬら(隠号)大先生の絵です。誰だかわかりますか?
正解は葛飾北斎。
鉄棒ぬらぬらっていうふざけすぎた隠号も最高です。北斎は他にも春画はいっぱい描いてますが、特に一枚目の『蛸と海女』は有名ですね。
他にも北斎は「紫色雁高」という隠号も使ってます。察せ。
現代に通ずる、というか、現代で行われているエログロ描写のほぼすべては、もう既に江戸時代にはあった――そう思えるほど、春画の世界は奇天烈でめちゃくちゃです。それを芸術と呼んで差し支えないほど、飛び抜けたジャンルなのです。
この二枚は一妙開程芳(隠号)。男性の表情とか目つきにクセがありますね。
そう、この絵は歌川国芳のもの。
がしゃどくろのあの絵を描くかたわら、こんな絵も描いてたんですねぇ。
特に一枚目のはなんとも生活感が感じ取れる面白い絵です。因みにその絵の二人は一勝負終えた後でして、この後も連戦に突入します。
ここからはもう適当に貼っていくのでじっくり眺めてお楽しみください。
喜多川歌麿画↑↓
余談ですが、春画はほとんどが着衣の性交を描いており、全裸同士というのはかなり少ないようです。さらに、女性の乳房を描くこともまれで、大半は接合部に重きを置いた描写になっています。
どうやら呉服屋さんとのタイアップによる絵も多かったようで、宣伝も兼ねてたわけですね。だから服は脱がないのです。
あと男性器が異常なほど大きく描かれるのも特徴。理由は、「そのまんまのサイズで描いたのなんか見る価値ねぇだろ」とか、縁起がいいからとか色々らしいです。
渓斎英泉画↑↓
鈴木春信画↑
!?
柳川重信画↑
以下適当にパブドメで見つけられた絵を。作者不明多いです。
↑こちらは明治時代の作品。
↑こういうの見て勉強してた少年なんかもいるんだろうなぁ、と今はなきエロ本時代を懐かしく思いますはい。
!!?
!!!???
画像フォルダが大変なことになってきたぞ。
春画は、実に誤解されやすいジャンルでもあるようです。
例えば海外では高く評価され、展覧会も行われているにも関わらず、最近ではロンドンで開催されたものを日本でもやろうとしたところ、開催場が決まらずに頓挫したようです。
古来から性についてはおおらかだった日本ですが、近年は力み過ぎなのかなんなのか、変に規制されてしまっており正しい評価を与えられなくなっているのではないでしょうか。
最後に、北斎渾身の『蛸と海女』の文章をwikiより引用し、終わりにしたいと思います。
怒られて消す羽目になったらそれはそれ。
今も昔も大して変わらぬ表現のカタチ、変わってしまったのはそれを受ける僕らの心。江戸っ子精神が今こそ必要なんじゃねぇか、なんて思っておりますです。
大蛸「いつぞハいつぞハとねらいすましてゐたかいがあつて、けふといふけふ、とうとうとらまへたア。てもむつくりとしたいいぼぼだ。いもよりハなをこうぶつだ。サアサア、すつてすつてすいつくして、たんのふさせてから、いつそりうぐうへつれていつてかこつておこうか」
女「アレにくいたこだのう。エエ、いつそ、アレアレ、おくのこつぼのくちをすハれるので、いきがはずんで、アエエモイツク、いぼで、エエウウ、いぼで、アウアウ、そらわれをいろいろと、アレアレ、こりやどうするのだ。ヨウヨウアレアレ、いい、いい。いままでわたしをば人が、アアフフウアアフウ、たこだたこだといったがの、もうもうどふして、どふして、エエ、この、ずずず」
大蛸「ぐちやぐちやズウズウ、なんと八ほんのあしのからミあんばいハどうだどうだ。あれあれ、なかがふくれあがつて、ゆのやうないんすいぬらぬらどくどく」
女「アアモウくすぐつたくなつて、ぞろぞろとこしにおぼへがなくなつて、きりもさかひもなく、のそのそといきつづけだな。アア、アア」
小蛸「おやかたがしまふと、またおれがこのいぼでさねがしらからけもとのあなまでこすつてこすつてきをやらせたうへですいだしてやる」
……北斎ノリノリじゃねぇか笑