妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

ぬっぺっぽうの裸体をぷにぷに絵解き

ぬっぺっぽうの裸体に挑む

大分間が空いたが、前回は見越に挑戦してまたも大失敗。今回は裸にする前からすでに裸なぬっぺっぽうに挑戦。

まずはR指定されそうなほどに全裸なぬっぺっぽうさんをご覧あれ。

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ザ・メタボなぬぺっぽうさん。泣く子も全力でジム通いしたくなるような容貌である。

すけべさん、そこはアゴだよふはは!

――まず、この鳥山石燕によるぬっぺっぽうは、青坊主がそうであったように『百怪図巻』を参考に描いたものであるとされている。

『百怪図巻』のぬっぺっぽうはコチラ。

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なるほど似ている。というかこの妖怪自体は同じものであるだろう。

で、このぬっぺっぽうという妖怪は、のっぺらぼうの一種であり、呼び方が変わっているだけだなどの説もある。

 

が、なんといっても推したいのは、『一宵話』という書に載っている徳川家康が出遭った不気味なバケモノの話。

全身が肉だけのぶよぶよしたキモイヤツが突然中庭に侵入し、捕まえようとしても捕まらない。結局家康が命じて捕獲ではなく追い出すことに成功したのだが、後に識者が「それは封という食べれば不老不死を得られるモノ」と教え、家康は悔しがったのだとか。

 

京極夏彦先生の『塗仏の宴』では、かなり主要なテーマになっている不老不死という言葉。宴の中でぬっぺっぽうに対する考察は沢山なされていたような気がするが、ぬっぺぽう以外の部分について触れていたかはちょっと覚えてない。

さっき必死に塗仏の宴を引っ張り出してきて探してみたが、何しろ凶悪な厚さだし二冊に分かれているので断念してしまった。

 

では本題。

とにかく、石燕翁が『百怪図巻』を元にぬっぺっぽうを描いたのまではわかった。

しかし、意味ありげなモノが背後に沢山描き込まれているのがとにかく気になる。

そこを読み解いてこその絵解き。今までやってきた自力絵解きは全て残念な結果になっているので、今度こその想いで背後に喧嘩を売ってみたい。

 

まず、ざっと背後を見てみよう。念のためもう一度画像貼る。

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なんか南国ちっくな樹が生えていて(樹は今までの経験でイヤな予感しかしない)、線香花火みたいな植物が生えていて、鐘がつられている。家だか寺だかの雨戸が壊れているのも見える。

 

まぁ当然どこもかしこもさっぱりわからん、頭の中ぬっぺら坊なので、いつものように行き当たりバッタリで挑みたい。

 

 

っつぅことでまず樹!

このー樹なんの樹♪知ってたら苦労しねぇよウォラぁ!

さて、今回もネット上にて樹の画像を見まくり、一番それっぽいのはシュロという樹だというところまでは漕ぎ着けた。(二日間かかりました)

これシュロ。

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が。

妖怪とどうつながるのか? 絶対関係なくね?

と思いながらもシュロを調べ進めてみてビックリ。

なんと、日本の氏族で富士氏というのがあり、その富士氏の家紋が「棕櫚葉紋」だというのだ。

棕櫚というのはシュロと読む。

さてここで思い出していただきたい。

家康の前に現れたあの肉人。あれは食べれば不老不死となる封というモノだと云う。

富士はよく不死とも関連付けられる。

不老不死の薬を焼いた伝説や、始皇帝が不老不死の薬を求めて日本へ徐福を送り、その徐福が最後に行き着いたのが富士山だった、という伝説もある。

そういえば京極小説『塗仏の宴』も徐福伝説がいっぱい出てきた。

あれ? もしかしてシュロについて触れてたりしたかな?と急に不安になったので探したが、やっぱり見つけられなかった。

閑話休題。

――で、何が言いたいかというと、わざわざぬっぺぽうの背後にシュロを描いたのは、間違いなく富士氏、すなわち不死の伝説がこのぬっぺっぽうにはあることを石燕は言おうとしたのではあるまいか。

ぬっぺっぽうの持つ逸話の一つ、不老不死伝説を、シュロの樹として背後に描いた、ということ。

これはほんとにマジでそうなんじゃあるまいか。

 

 

 

次に、植物を調べまくってみた。

でも、本当にこれは似たような植物が多くて、これだ! というものにたどり着けなかった。絶対意味はあると思うので、もしこの植物が何か、自身を持って答えられる方がいたらぜひコメントにて教えていただきたい。

 

追記

コメント欄にて、沢山の有益な情報を頂いた。

ヤマユリではないか、という説。彼岸花ではないか、という説。夏水仙ではないか、という説。

自分でもそれらを調べてみたら、意味を合わせて考えると彼岸花がかなり当たってるんじゃないかという気がした。

彼岸花は、ご存知の通り死を連想させる。

シュロが不死を表しているのだとすると、同時に死をも描き込んでいることになる。

これはかなり意味深で、それっぽいのではと思わざるをえない。

 

 

次!

ここで僕は、明らかに不自然でアヤシイ、釣鐘を調べることにした。

もうね、絶対妖しい。すんごく妖しい。

釣鐘の横に、何かカナヅチのような物も見える。

そのカナヅチのような物は、恐らく釣鐘を叩くための撞木(しゅもく)だろう、ということが分かった。もちろん、撞木なんて言葉初めて知ったわけで。

シュモクザメとかのシュモクだそうで。丁の字型なんだそうで。

それがわかったところでどうにもならなかったのだが、その時の僕はめちゃくちゃ冴えていた。

「撞木 江戸時代 使い方」

みたいに検索すると、奇跡的に面白いことが分かった。

撞木で叩く半鐘(はんしょう)は、江戸時代に「半鐘泥棒」という使い方をされていたらしい。これは言葉遊びで、意味は「のっぽ」なのだとか。

ん? のっぽ?

次に、のっぽの語源を調べてみると、のっぺりとか、ぬっぺりとかの、なめらかな様子が元になっているらしい。

これはもう確実に洒落である。

しかも、絵に描かれている不自然な撞木は、ものすごく「のっぽ」なヤツじゃないと掴めないし、半鐘もあんな位置にあっては「のっぽ」じゃないと叩けない。

つまり不自然な半鐘と撞木は、セットでぬっぺっぽうの洒落になっていたのだ! たぶん!

 

追記

またまたコメント欄にて、障子張りを生業とした職人についての情報があった。

その職人は、表補絵師(ひょうほうえし)と呼ばれ、当時の表記では「へうほうゑ師」となる。

ぬっぺっぽうの絵にも、まさに破れた障子のようなものが描き込まれており、上に述べた半鐘と撞木のすぐ隣である。

半鐘泥棒がのっぽであり、隣の障子がへうほうゑ師を表しているとすると、そのまんま繋げて「のっぽへいほう」、転じてぬっぺっぽう、という洒落になっているのではないか、と考えられる。

これすげぇ!!

 

 

さて。

今回はなかなかいい手応えである。

コメント欄での多くの助言にも助けられ、

・シュロの樹でぬっぺっぽうの大元である「封」の属性、不死を表し、

・彼岸花では「死」を表し、(ぬっぺっぽうが死にも不死にも囚われない存在であることを示している、とか?)

・背後の破れ障子は障子張りを生業とした職人、へうほうゑ師を表し、

・その隣の半鐘と撞木は、江戸時代に使われていた「半鐘泥棒」という「のっぽ」の意味になる言い回しを表す洒落になっている。(のっぽとへうほうゑ師でのっぺっぽう?)

ついに、絵解きシリーズ初の、描き込まれてモノの意味全部解けたんじゃね? 的な感慨に浸っている。

皆さまありがとう。

ただし、

石燕翁はもっともっと深い意味を込めている可能性もあり、ここで出した答えが正解かどうかもきっとずっとわからない。

 

だから、面白いのである。