琴古主(ことふるぬし)
『百器徒然袋』より「琴古主」
何の迷いも無く琴の付喪神である琴古主。
石燕の解説文は琴の歴史も垣間見えるものになっている。
八橋とか言へるこしやのしらべをあらためしより、つくし琴は名のみにして、その音色をきゝ知れる人さへまれなれば、そのうらみをしらせんとてか、かゝる姿をあらはしけんと、夢心におもひぬ
この解説文をちょっと頑張って読み解いていくと――
まず最初に「八橋」とあるが、これは京都名物の八ッ橋では無い(実はお菓子の八ッ橋の語源になっている人物ではあるのだが)。
八橋検校(やつはしけんぎょう)という、三味線や琴に秀でた人物の名前である。
因みに検校というのは、盲人の持てる官位の最高位であり、琵琶法師同様、この八橋検校も盲人であったようだ。
――で、この八橋さんは三味線から琴に興味を持ち、弾きはじめる。そしてそれまで琴の基礎であった筑紫流を踏まえたうえで、八橋流という新たな基礎と成り得る筝曲の流派を作り上げた。
地味であった筑紫流はすぐにすたれてあまりその音色も聞かなくなり、それを恨んで化けて出たのが、この「琴古主」ということだ。
石燕の解説文に出てくる「つくし琴」というのは「筑紫流」の事で、それがあまり聞かれなくなったことも書かれている。
どんなに優れていても、大衆に好かれ、味方にできなければ廃れてしまう。
なんとも残酷な現実である。