大座頭(おおざとう)
『今昔百鬼拾遺』より「大座頭」
大座頭はやれたる袴を穿、足に木履をつけ、手に杖をつきて、風雨の夜ごとに大道を徘徊す
ある人これを問て曰、いづくんかゆく
答ていはく、いつも倡家に三絃を弄すと
大座頭は、座頭姿で夜に徘徊している妖怪である。
石燕は解説文にて、「大座頭はやれたる袴を穿、足に木履をつけ、手に杖をつきて、風雨の夜ごとに大道を徘徊す。ある人これに問て曰、いづくんかゆく、答ていはく、いつも倡家に三絃を弄すと」と説明しており、風雨の夜に徘徊するボロボロ服の妖怪として描いている。
どこに行くのか? と聞けば、いつも「女郎家に三味線弾きに行く」と答えるという。
これは石燕が夜な夜な徘徊する座頭を不気味がって妖怪として描いた説が濃厚であり、座頭ではないものの現代でも夜な夜な徘徊する不気味な老人は存在するし、やはり昔も同じだったのだろう。
因みに、座頭とは江戸時代における盲人の階級であり、江戸時代が障害を持つ人々を保護し、独立した地位を与えようという政策て作られた階級である。
座頭は主に按摩師や琵琶法師などの職を与えられ、中には借金取りのような仕事に就く者もいたようで、この「大座頭」も借金取りなのでは? という、説もある。
しかし忘れてはならないのが、座頭の人々が作り上げた芸術や音楽は、現代に繋がる非常に重要なものだったということ。
無駄なものなどないのだ!
石燕は解説文にて、「大座頭はやれたる袴を穿、足に木履をつけ、手に杖をつきて、風雨の夜ごとに大道を徘徊す。ある人これに問て曰、いづくんかゆく、答ていはく、いつも倡家に三絃を弄すと」と説明しており、風雨の夜に徘徊するボロボロ服の妖怪として描いている。
どこに行くのか? と聞けば、いつも「女郎家に三味線弾きに行く」と答えるという。
これは石燕が夜な夜な徘徊する座頭を不気味がって妖怪として描いた説が濃厚であり、座頭ではないものの現代でも夜な夜な徘徊する不気味な老人は存在するし、やはり昔も同じだったのだろう。
因みに、座頭とは江戸時代における盲人の階級であり、江戸時代が障害を持つ人々を保護し、独立した地位を与えようという政策て作られた階級である。
座頭は主に按摩師や琵琶法師などの職を与えられ、中には借金取りのような仕事に就く者もいたようで、この「大座頭」も借金取りなのでは? という、説もある。
しかし忘れてはならないのが、座頭の人々が作り上げた芸術や音楽は、現代に繋がる非常に重要なものだったということ。
無駄なものなどないのだ!