妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

累(かさね)重なる因果の行方

累ヶ淵と因果応報

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 『絵本百物語』より「累」

 

江戸時代を代表する怪談の一つである「累ヶ淵」の物語。元は実話であったとされることも、この怪談が超有名になった理由の一つだと思う。

三遊亭圓朝による落語『真景累ヶ淵』が凄く有名だが、ここでは一番最初に累の物語が世に知れ渡るきっかけとなった『死霊解脱物語聞書』から、生々しく恐ろしい、本当の「累ヶ淵」を考えてみたい。

(過去に↑の画像、『絵本百物語』で累は紹介済みだが、その紹介記事を書いた時点では僕は累ヶ淵を全く知らなかったので、今回改めて書いてみることにした。というのも、改めて累の物語を見ると非常におぞましく、また現代に通ずるところも多かったので、書きたいと思った次第)

 

以下累ヶ淵の話をちょっと端折って簡単に書くが、長い上に胸糞悪くなる部分も多いので閲覧注意。

連れ子はイラネ。我が子が可愛い。

寛文12年(1672年)、下総国羽生村(現茨城県常総市)でのこと。

与右衛門という農民がいた。

与右衛門は違う村から妻を貰ったのだが、その妻には「助」という名の6歳になったばかりの連れ子がいた。

しかし助は片目が見えず、手足も片方ずつしか上手く動かせないという子だった。

与右衛門は

「そんな育てたってなんの役にも立たねぇガキは捨てちまえ。イヤならお前ともおしまいだ」

と妻に辛辣な事を言った。

妻は最初拒んだものの、生きて行く為には仕方ない、と泣く泣く我が子を川に投げ捨てて殺した。

 ――その後、与右衛門と妻の間には女の子が生まれ、累(かさね)と名付けた。

累は、容姿が醜悪であったが、与右衛門にとっては実の娘であり、可愛がって育てた。

しかし与右衛門と妻は早くして死んでしまい、累は両親の残したいくばくかの田畑を

手にはしたが、一人になってしまった。

そこへ、土地を目当てに、二代目となる与右衛門が現れ累と結ばれる。

 

下心と累殺害

二代目与右衛門は、所詮初代与右衛門が残した土地が欲しかっただけ。

それさえ手にいれれば、容姿の酷い嫁など邪魔だった。

累の容姿は、色黒で片目が腐り鼻はひん曲がっていて口もやけに大きく、顔の至る所がひきつっていて、手も足も醜い。しかも醜いのは容姿だけではなく、心もひん曲がった最低の性悪女だった。

「こんな女早いとこ殺して新しい嫁を貰おう」

二代目与右衛門はそう考えた。

――ある夏、夫婦は揃って畑に豆を摘みに行った。そして摘み取った豆を全て累に背負わせ、帰路に着いた。

二人が絹川(現鬼怒川)に差し掛かった時、与右衛門は多くの豆を背負って動きの鈍った累を川へ突き落した。

すぐに与右衛門も川へ飛び込み、累の胸を踏みつけ、川底の砂を累の口に押し込み、目をつつき、咽を締め、そのまま殺した。

(その時、累殺害の様子を村人の数人が目撃していたが、誰も何も言わなかった)

与右衛門は累の死体を寺に葬ると、何事も無かったかのように日々を過ごした。

 

念願の娘と累の怨念

累を殺し、田畑を我が物に出来た二代目与右衛門は、すぐに新しい妻を貰った。

しかし妻を貰う度に早死にされてしまい、子供もできずにいた。

そして六人目の妻で、ようやく娘が誕生。名前を「菊」とし、可愛がった。

(六人目の妻も、菊が13歳の時に死んでしまう)

母親の死んでしまった年、与右衛門は菊に金五郎という婿を取らせた。菊も自分の老後もこれからだ――と安堵していた矢先、菊が突然病に伏せってしまう。

病に伏した菊の様子は尋常ではなく、口からは泡を吹き、涙を流し、

「苦しい、耐えられない、誰か、助けて……」

と叫び、今にも死んでしまいそうな程に苦しそうだった。

金五郎も与右衛門も腰を抜かし、

「大丈夫か菊!」

と声を掛けた。すると菊は、

「私は菊ではない。お前が殺した、お前の妻、累だ。絹川で私に重い荷物を背負わせ、川へ突き落とし、そのまま殺した事、まさか忘れているわけではあるまいな?

今までお前の妻六人を呪い殺してきた」

と言うなり、与右衛門に掴みかかろうとした。

あまりの恐ろしさに金五郎は逃げ出し、与右衛門も村内の寺に逃げ隠れた。

この事態に村中騒然となるも、与右衛門は

「妻を殺すような真似、俺がするわけないだろう。俺は知らない」

とシラを切り続けた。

 

怨むは与右衛門だけでなく

村人は、なんとか菊を助けてやろうと、与右衛門を寺から引っ張り出し、累の乗り移った菊と対峙させることにした。

「私を殺したお前を許さない」

と罵る累に、俺はそんなことしてない、の一点張りの与右衛門。

しかし、累の怨念は、

「清右衛門という男。こいつが、私がお前に殺される現場を見ていた」

と暴露し、与右衛門もついに観念し、罪を認めた。

累という女は、あまりの醜さと性格の悪さから、村全体から疎まれていた。

故に殺害現場を見た村人も「ああいう女だし、仕方ない」と黙ったまま長年過ごしてきた。

累は与右衛門に殺されたと同時に、村全体に殺され、黙殺されたのだった。

累はそれにも激しい怨みを持っていた。

累の怨念は「この村の者の先祖はことごとく地獄に落ちている」と告げ、更に数々の村人の悪事を暴露していく。

先祖の悪事を暴露されたばかりか、まだ生きている村の者の悪事も暴露し始め、村全体の雰囲気とプライドはズタズタ。

更に累は、自分を供養する為の石仏を建てろ、と言い出した。相当な金がかかるので、村の権力者がそれを拒否すると、

「私が両親から引き継いだ田畑があるだろう」

と言う。しかしその田畑はとうに他人の手に渡ってしまっていて、その事を累に告げると累は大いに怒り、菊の体を宙に浮いてしまう程に苦しめ、悶絶させた。

 

祐天上人

累の噂は村内に留まらず、拡大していた。その事態を聞きつけた学僧の祐天上人が、捨て置けない、という事で与右衛門の家を訪ねた。

祐天上人は様々な念仏を唱えたが、累の怨念は凄まじく、効果が無い。万策尽きたか、と思った祐天上人は、外に飛び出すと

「おいこら仏! いるのなら出てきやがれ! じゃなきゃ違う宗教を学んで仏教を滅ぼすぞ!」

とまで叫んだ。

その時、祐天上人は閃いた。

「念仏を唱えるんじゃなくて、念仏を唱えさせれば効くかも」

早速菊に念仏を唱えさせようとするが、累の怨念が邪魔をしてなかなかうまくいかない。

最後には菊の髪を鷲掴みにしてねじ伏せ、強引に念仏を唱えさせた。

すると、見事累の怨念は菊から離れ、消え失せた。

 

因果応報

めでたしめでたし、と思いきや、再び菊が何かに憑りつかれた。

祐天上人も驚き、急ぎ与右衛門の家を訪ねて菊と向き合った。

我が念仏の大勝利、と思っていた祐天上人は、もう手加減しない、と言わんばかりに菊に会うなり髪を掴み床に捻じ伏せた。その時、菊がかすかに何かを言った。

祐天上人は聞き取れなかったが、居合わせた男が「すけ、と申しております」と言った。

「すけ、という名を誰か知っているか?」

と祐天上人がその場にいる者に聞くも、誰も心当たりがない。が、一人の老人が思い出したように

「60年前ぐらいに、先代の与右衛門の妻の連れ子を絹川に捨てて殺したような噂があった。確かその殺された子の名が、助、だった」と語った。

祐天上人は問います。

「お前は助なのか?」

「そうです。累が解脱できたことを羨み、こうして菊に憑りつき現れました」

それを聞いた祐天上人は、早速助の為に戒名を書いてやり、仏壇に貼りつけた。

すると助の霊はちらちらと舞いながら、その戒名に憑りつき、消えていった。

その場にいた者達は皆で目を閉じ、「南無阿弥陀仏」を唱えた。

――その後、苦しみから解放された菊は、出家して尼になろうと考えた。

村人達も賛同したが、祐天上人が許さなかった。

「君は在家のまま念仏を唱えながら暮らし、極楽往生を願いなさい」

そう祐天上人は菊に言った。

菊はしばらくして新たな夫を貰い、その家は大いに栄えた。

 

 

――60年に渡る因果応報の物語。しかしそういう部分ではなく、人間の愚かな部分も見えてしまう深く生々しい話だと思った。

この話を読んでなんとも言えない気分になり、考えさせられてしまうのが、累の容姿性格と、村のこと。

累は容姿が醜いだけでなく、心も最低だった、と何度も書かれている。

そして、村全体が累を疎み、殺されても誰も何も言わなかったということ。

これら2つの部分が、複雑で、嫌な気分にさせる。

 

自分だったら、と考えると、物凄く混乱する。

村中から嫌われ、性格も本当に最低な一人の人間を、自分だったら庇ってあげられるだろうか?

圧倒的多数の前では、自分の信念すらも簡単に揺らぎ、あっけなく「多数」の方に回ってしまうのではないだろうか?

綺麗ごとを抜きにして。

 

――ところで、祐天上人だけはこの話の中でやけに活き活きしている。

というのも、実話を元にしているとは言え、『死霊解脱物語聞書』は上人の関係者(弟子?)が書いた物らしく、宗教の普及や上人すげぇ! という脚色も多少はされている(だろうと思われる)から。

 

後に生まれる怪談の多くに影響を及ぼしたとされる累の物語。

この物語が広く知れ渡り愛された理由を少しだけ理解したような気がした。