玉藻前(たまものまえ)
『今昔画図続百鬼』より「玉藻前」
瑯邪代酔に古今事物考を引て云、殷の妲己は狐の精なりと云々
その精本朝にわたりて玉藻前となり、帝王のおそばをけがせしとなん
すべて淫声美色の人を惑わす事、狐狸よりもはなはだし
みんな大好き九尾の狐の人間の姿、玉藻前。
玉藻前の物語をざっくりと書くとーー
平安末期、ある所に藻女(みずくめ)という名の少女がいた。少女は18歳で宮中に仕え、名前も「玉藻前」と変え、女官へとのし上がっていく。その過程で鳥羽上皇の目に止まり(すげぇ美人だったから)、その後契りを結ぶ。
するとそれからしばらくして、鳥羽上皇が頻繁に病に掛かり床に伏せるようになってしまった。
医者にもその原因が解らず、ついには陰陽師が呼ばれる(安倍晴明、安倍泰成など諸説ある)。
陰陽師は、「玉藻前が怪しい」と言い出し、呪文を唱えた。するとどうだろう、玉藻前はみるみる姿を変え、白面金毛九尾の狐となり、そのまま宮中を逃走した。
その後かくかくしかじかうまうまひひーんあって、討伐軍により九尾の狐は討伐される。しかしその怨念すさまじく、討たれた後も殺生石となり、毒をばら撒き近づく動物や人間を殺し続けた。
殺生石もまた、破壊されるのだが、破壊されても各地に散らばり、なお毒をばら撒き続けたそうな。
たまちゃんの呪いはんぱねー!
さて。
玉藻前の九尾の狐物語は、一体どのように形作られたものなのだろうか?
まず、史実上に、鳥羽上皇が寵愛した玉藻前のモデルなのでは? と言われている女性がいる。
秀吉ばりの、名門ではない出自にも関わらず皇后にまで上り詰め、様々な画策でもって宮中をかき回した美福門院という女性であるを
さらに、九尾の狐の物語は中国にもある。それは封神演義などを読んだことがあるなら知っているとは思うが、かの皇后「妲己」である。
妲己の振る舞いと美福門院したこととが重なり、和製九尾の狐の物語は生まれたのではないだろうか?
ーーとにもかくにも、絶世の美女、美しい九尾の狐、凄まじい怨念、と、妖しく面白い要素が詰まっているので玉藻前が今尚人気なのは納得である。
たまちゃん万歳!
追記
その玉藻前がさらに百年後、亡霊となって殺生石より現れた絵を芳年は描いている。
『新形三十六怪撰』より「那須野原殺生石之図」