安松火(やすまつび)、八十松火(やそまつび)
安松火(やすまつび)、八十松火(やそまつび)
例えどのような不幸があろうとも、不屈の魂はきっと仇を成す。
静岡県は浜名郡芳川村字安松(現浜松市)に伝わる、安松火という怪火がある。
――安松に住んでいたある浪人が、夏の夜、下働きの男を伴い散歩している最中、腹が減ったので道端の瓜を盗んで食べた。
何を思ったか浪人は、下働きの男を口封じのために殺してしまった。
さらに、その死体を下働きの男の母親へと引き渡した。
当然激おこになった母親は、死体となってしまった我が子の頭に金火箸をぶっ差し、川へと向かい、
「お前が悪いことをして殺されてしまったのなら、川下へと流れてお行き。もしお前が全く悪い事をしていないのに殺されてしまったのなら、川上へと流れてお行き」
と言って遺体を川へと流した。
すると遺体はぐんぐんと流れに逆らい川上に上って行った。
「よし! それだけの強い魂があるのならきっと仇を討て!」
そう母親は言い残し、帰って行った。
その日を境に、大きな火の玉が村中を夜に駆け回るようになった。
そしてその火の玉は必ず男を殺した浪人の家の中に入って行き消えた。
ほどなくしてその浪人の家は絶え、殺された下働きの男を哀れに思った村人によって男は厚く祀られたのだという。
さてあれこれ考える前に、もう一つ怪火を紹介したい。
これもまた静岡県は浜松に伝わる怪火、八十松火。
神田原の水神様の池から浜名湖へと通ずる川に現れるとされる。
――昔、八十松(やそまつ)という名の小僧が、主人に幾ばくかの金を託され使いに出た。しかし途中の川の辺りで金を落としてしまい、いくら探しても見つからない。
小僧は主人にその事を伝えたが、主人は激おこでとても許してくれそうにない。
思いつめた小僧は結局自殺してしまい、それからというもの夜な夜な川に小僧の怨霊が火の玉となって現れるようになったのだそうな。
伝承は、一つだけ見るより似たようなもう一つと比べてみるとぐっと面白くなる。
静岡県の、共に浜松。現在の浜松市で見ると西区と南区で分かれており完全に同じ場所の伝承ではないが、これは極めて近いし元は同一と考えてよいのではなかろうか。
名前も、ヤスマツビとヤソマツビであり、とても似ている。
八十松火の方ではわざわざ水神様のいる池から――なんて記述もあるので、水神が大きくかかわっていると思われるし、それは安松火でも「瓜」を浪人が盗んで食っているあたりから連想できなくもない。(因みに静岡県浜松市には瓜内という地名の場所がある)
そして金。
八十松火で小僧は金を落としてしまった。
一方安松火では「金火箸」を死体の頭にぶっ差した。
ただ、安松火は「殺された」下働きの男が火の玉になるが、八十松火では「自殺した」小僧が火の玉になる。
水神、金、自殺と他殺。
これだけで小説一本書けそうなテーマが並んでいるが、あと忘れてはならないのが「浜松」にも「安松」にも「八十松」にも松という字が入っていることである。
深読みすりゃあキリがないが、どうやら本当に目撃証言の多い怪火だったようで、どちらかの村で誰かが言い出した話が、もう片方に少し違う風に伝わってしまった――という可能性も十分ある。
しかし。
もし、どちらの怪火も実際に起きた事件を元にしていたとしたら……。
なんにしろ、答えのわからん妖しいものというのは考えているだけで楽しいものである。おそまつさまでした。