「もっと私を大切にして!」画霊
画霊(がれい)
喜多川歌麿画『山姥と金太郎 頰ずり』
読んで字の如く、画霊は画(え)に宿る霊の妖怪である。
本邦ではヤカンだろうが枕だろうが石だろうが、あらゆるものに魂とか神が宿ってしまうそりゃもう恐ろしいほどの八百万っぷりなので、魂込めて描いた絵に何かが宿ったところで全然不思議では無いのである。
――昔、勧修寺宰相家に女性の描かれた屏風があった。
その屏風は使われてもおらず、隅に追いやられてボロボロになっていたのだが、ある日その屏風を借りたいと穂波殿の侍所から使いがやってきた。
使いの者は、ボロボロでもいいから、ということだったので貸してやったのだが、すぐに宰相家に苦情が来た。
「子供を抱いた女が屋敷近くに毎晩出るようになったんだが何か知らないか?」
と。
もちろんそんなこと皆目心当たりがないから、知らぬと伝えたのだが、結局不気味がられて返されてしまった。
かといってやっぱり使い道なんて無かった。
再び返された屏風は隅に放置されることとなった。
するとその夜。
なるほど穂波殿の使いの者の言う通り、不気味な女が屋敷近くに出た。
これは一体?
と怖くなった主は、なんとなく例の屏風を開いてみると、そこには現れた女とそっくりの絵が描かれていた。
まさか……とは思ったものの、試しに主はその絵の女の額に札を張り付けてみた。
するとどうだろう。次の夜、屋敷前に現れた女の額にも札が貼られているではないか。
主は絵師達に事情を話し屏風を見てもらうことにした。
するとその絵は土佐光起の描いた貴重な絵であることが判明し、これは画の霊じゃ祟りじゃと感じ、すぐに屏風を修復させた。
それ以来その女が絵から出てくることはなくなったのだという。
この逸話も、描かれていて外に飛び出してきたのが「女性の絵」であることがミソであろう。
飛び出して来たのが仮にむさくるしい男性の絵だったのなら、妖怪「画霊」も妖怪退治譚になっていたかも知れない。
また、仮に描かれていたのが「美形の僧」とかだったら、もっとアブノーマルなラブストーリーになっていたかも知れない。
物語にしろ絵にしろ、書く側にはそういう責任が生じてしまうわけで、面白さでもあり怖さでもある。
そして描いたもの、書いたもの、それらを放置したりないがしろにしていると――このように妖怪となって出てくる場合もあるのだから、尚更気を使わねばなるまい。