真に心に響く音楽――『月百姿』より「五節の命婦」
『月百姿』より「五節の命婦」
楽しい、癒される、飽きない、気持ちいい。
音楽は実に様々な感情を呼び起こしてくれる。
ただ、真に心に響く音楽というのはやっぱりどうしても少ない。
それはもちろん人によるだろうし、膨大な「心に響きまくる曲」をストックできている人もいるのだろう。
しかし僕はそうではない。
数えてみたって多分十曲も無いと思う。
それは誰かに言うつもりもないし、ある意味で僕そのものでもあるから恥ずかしい。
――今日紹介する月岡芳年の『月百姿』の一枚は、「五節の命婦」という絵。
琴を演奏するのは貧しく、落ちぶれた尼である。
身なりや身分は低くても、彼女が演奏する琴に心奪われ涙しない者はいない。
これは十訓抄(じっきんしょう)という鎌倉時代の説話集に書かれているエピソードで、決して人前で涙を流さないと言われた源俊明(みなもとのとしあきら)も盛大に涙を流したのだという。
歌詞も歌も無い音に心奪われ涙する――それは簡単には理解できないことであり、そういう意味では妖怪と言えなくもない。
かつては僕もバンドマンで、ドラマーだった。たまにギターも弾いたしベースもベンベンした。しかし本当に人の心に響く音楽を作って(演奏して)いたかと問われれば、あまり考えることもなく「全然そうじゃない」と答えるだろう。
何がしたくて太鼓叩きしていたのか、何がしたくて良い曲を作ろう、なんて考えていたのか、今となってはよく解らない。モテたかttゴホゴホッ……。
とにかく音楽というのは、最も人の奥深くまで入り込むモノの一つらしい。
歌詞があってそれに共感して――というのならまだ解る。しかしこの五節の命婦のように、琴の音が朝日が昇るまで延々と人の心を捉え続けるというのはよっぽどの「音」なのだろう。いつかそのような「音」に出会えたら、と思う。
余談だが、僕の「魂に響いた曲」の中で、これなら言ってもいいや、と思えるのが一つある。
それは某駅前で路上演奏していた汚い恰好のミュージシャン(一人)の曲。
とにかく声がデカく、それでいて凄く良い声で、
「マネ~、マネ~、吹き上がれ! お金が欲しいのさぁ~♪ お金が~あればなんでもできるぜッ! ハッ!」
と歌っていた。
当時僕は中学生ぐらいで、音楽に対して勝手なイメージを多く持っていたわけだが、その汚らしいミュージシャンの溢れ出る情熱を感じ、僕の陳腐でチープな魂は震えた。
その曲が僕の魂に響いた証拠として、今でも鮮明に歌詞と歌い手と状況が思い出せること。
アホすぎwwwと馬鹿にされても仕方ないような曲なのだろうが、少なくともその時の僕には響いたのだ。
……やっぱり書くんじゃなかった。