疲れが取れにくくって年齢っていうものを感じてる今日この頃なので『月百姿』より「卒都婆の月」
『月百姿』より「卒都婆の月」
最近どうにも疲れが取れない僕。
少し寝不足なだけで丸一日が凄く怠かったり、いつまでたっても足の気だるさが抜けなかったり。
かくいう僕、あと数年で三十路にイン。まともな職に就いてこなかったせいか、はたまたバンドやったり色々やったりで脱線したせいなのか、なんら大人になることなく年齢だけを重ねてきたが、こういうぼやきを聞いて「あ~あ~大変だねぇオッサンはwww」なんて笑っている諸君にぜひ言いたいのは、「それは必ずアンタにも来るンだぜ」ってこと。
しかしまぁこのぐらいの年齢にならないと解らないものであるだろうし、もっと年配の方々はこんな僕を「まだまだ若いぞよ」と言うだろうし、一体この感じをどう表していいのかわからないので、小野小町に託すことにする。
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
花もいつの間にか散ってしまったわ。私が愛だ恋だ友情だ、なんて悩んだりしてる間にね……。
とまぁそんな感じの内容の歌である。
悔いたところでどうするわけにもいかないし、特にそんなこと考えずに生き続けるのがどう考えてもベストである。
それでも僕らはふいに過去を顧みて、あれこれ考えちゃったりするもの。
実在したかも妖しい小野小町であるが、多くの恋をし、多くの歌を詠んで残した華の小町も、一人の人間、一人の女性であったのだ。
まさに↑の歌を詠んでいるかのようなシーンを描いた、芳年の「卒都婆の月」。
この絵は年老いた小町を描いたものであり、その姿にかつての男を翻弄し続けた美しい小町の面影は見えない。
しかし、月だけは、あらゆる小町の逢瀬を見守り、歌を書きつける際の明かりにもなり、傍に居続けていた。
そんななんとも深みのある哀愁に満ちた一枚。『月百姿』の中でも僕はかなり好きである。
そして絵もさることながら、画題の「卒都婆の月」というのもまた面白い。
実はこれ、能の作品で「卒都婆小町」というのがあり、この絵もその演目を描いたものだと思われる。
「卒都婆小町」は、老女に声を掛けた僧が、逆に論破されてしまい驚いていると、その老女は小野小町の成れの果てであった――みたいな話。
卒塔婆を卒都婆にしちゃうあたりが凄い。
――いつか自分も老いるのだ、とちゃんと自覚と覚悟は持ちつつ、前を向いて歩いてゆけたら、と思う。