『百鬼夜行絵巻』の妖怪探し
百鬼夜行絵巻徹底検証の巻
絵巻記事に~の巻、を付けるとなんだかマキマキしてて巻き寿司たべたいです。
――というわけで、今回は『画図百鬼夜行』じゃない、『百鬼夜行絵巻』の妖怪を色々いじってみたいと思います。
かつて書いた記事に、百鬼夜行絵巻(真珠庵本)とは? なんていう記事がありまして、内容をサクッと書けば
――百鬼夜行絵巻っていうのは妖怪が一杯描かれたそういう絵巻物の総称であって、具体的に「どれ」とかじゃないのです。
んで、真珠庵という臨済宗のお寺に保管されてるものが、状態的にいまのところ最も貴重みたいに言われていて(それが原本、というわけじゃないです。っていうか歴史的に価値があるものっていうのは日々刻々と新しいものが発見されたりするので、これを書いてる今でも真珠庵本がどれほどのモンかは正直わからんです)、多くの百鬼夜行絵巻は真珠庵本を模写したものだろう、とも言われています。
――みたいなことが書いてありました。
ということで、真珠庵本の絵巻に出てくる妖怪達を調べ、「やぁこれはアレじゃないか!」とかやいのやいの言う記事ですどうぞよろしゅう。
※追記。コメント欄にて更に細かく助言を頂けたので、それも反映させて追加しました。すまくらさんありがとうございます!
百鬼夜行絵巻の妖怪いじり、始まるよ!
では真珠庵本の妖怪いじり、ちゃんと頭から見て行きましょう。
厭な予感がした方、ご明察。真珠庵本の全妖怪をこの調子でやる気でいます、僕。
さて。
非常に大事なことを言い忘れていましたが、百鬼夜行絵巻の妖怪には名前がありません。というのも絵巻自体には一切の注釈が無いからで、そりゃ名前も説明も無いわけです。因みに描いた人も、一応土佐光信なんじゃないか、とは言われてますが確証が無いので妖しいです。
ですので、元ネタ探しとは逆の、この妖怪は後年こう描かれたね! という検証が多くなるとは思いますがご了承ください。
で、最初の妖怪。
矛担(ほこかつぎ)としてかつてシレっと記事にしたことがあるのですが、名前は前述の通り特に決まってはいません。
神聖とされてきた矛を担ぎ、頭には烏帽子ではなく冠をかぶった青鬼。
行進しているというよりは、追い立てているように見えるのは僕だけでしょうか?
強引に後年の妖怪を紹介するとしたら、長冠でしょうか。冠はほぼ一緒に見えます。
座ったまま飛んだッ!?
青鬼の次に凸撃しているプリプリお尻の鬼がコイツ。御幣を槍の如く突出し、よくわからん恰好で楽しそうにしています。
さて御幣妖怪と言えば、『百器徒然袋』に弊六なる妖怪がいました。弊六の元ネタはコイツか?
弊六助っぽい赤鬼の次に出てくるのが、
シーツで遊んじゃいけません! な妖怪。
数多く模写されるにつれ、端折られる妖怪もいるのですが、このシーツ君はどの百鬼夜行絵巻にも大体出てきます。きっとニッセンのシーツを買って失敗してどうしようもないから被っちゃったんでしょうね、同情します。
一反木綿と喧嘩中、とも考えられます。
ちょっと待ってちゃんと並んで! 一人ずつしか無理だから!
これだから魑魅魍魎ってヤツは困ります。
絵巻に文句言っても始まりませんので、まずは右下のキミから。
なんでしょうね、魚が大判焼きかぶってますね。骨董品だとか物の歴史には疎いので、一体これがなんなのか判りませんが、鏡とか、何かを入れる箱だとか、そういうものの付喪神なんでしょう。
で、上には犬がいます。軍旗を掲げて鼓舞するかのような犬。首のマフラーが歌舞伎っぽくて洒落てますね。
あ、もう気付いたと思いますが、百鬼夜行絵巻というのはほんとになんでもありです。八百万の神が本気出しちゃった感じです。
話を戻して、中央の妖怪さん。
コイツは一体どこが頭なんでしょうか? キーボード掃除用の小さいほうきみたいなのが頭に付いてますね。食べかす落とした時いつもお世話になってます。因みにほうきはもともと魔を祓う神聖なものでして、箒神なんていう妖怪も石燕が書いてます。
最後は先頭を行く牛さん。牛、ですよね?
はだけっぷりが男らしいです。しかもピンクの着物。センス抜群じゃないですか!
お次の無法者達。
頭に硯? のようなものを付けたハリネズミは、沓頬(くつつら)の元ネタと言われている妖怪。
そしてまな板だかアイロン台だか楽器だか判別できないナニカと、歯を食いしばるかのように見える琵琶の付喪神。
これはまさか……琵琶牧ゝさんの原型じゃないのか⁉
となると、もしかしたら横のアイロン台は琴かも知れません。
琴古主、っていうのがいましたから。
さぁさぁどんどん行きましょう。忙しい忙しい。
というわけでここにはなかなかに有名な妖怪「いそがし」が出てきますね。
いそがしは、後年描かれた別の百鬼夜行絵巻で、絵に「いそがし」と書かれていた妖怪。名付け親はその模写絵巻の作者、ということになるでしょうか。
上に飛んでる鳥は何の付喪神でしょう? 屋根瓦にも見えるし、馬の鐙や鞍のようにも見えます。色はキレイですね。
続いてのニヤケ天狗は、手に大きな錫杖(しゃくじょう)を持っています。
仏教僧が持つ法具であることはご存知かと思いますが、妙なのは遊環(ゆかん)の数。遊環とは錫杖の先端の大きな輪にぶら下がっている小さな輪っかのことで、通常なら6個か12個のどちらか。しかしこの妖怪の持つ錫杖には9個の遊環しか付いていないのです。
なるほど中間のはんぱもの、この世のものではないことの証なのでしょうか?
芸が細かいです。
続・シーツ君。
「汚れが目立たないように今度は黒いシーツを買ったんだ。それなのに……」
スプーンを首に付けたカマキリ野郎は、如意自在、つまりはスプーンじゃなく如意棒か⁉
と短足妖怪に踏みつけられいじめられるシーツ君。
ニッセンが悪いのか? 違うだろ。僕はニッセンが好きなんだ。それに僕は返品だってしたことがない。僕はシーツを被り続けてやる。被って被って被りつづければ、きっといつか……
つづく。
下駄を履いた傘(納豆か?)と、尻尾が杖になっている馬にまたがる草鞋騎士。
そしてここにもシーツ君をいじめる変態がいました。
「ニトリでシーツ買った俺勝ち組ぃwww」
この部分は、実は鳥山石燕ファンだとニヤリとしちゃう部分であります。
金槌を構えた黒い妖怪は、金槌坊という名前でも描かれていたりするのですが、石燕は予想の斜め上を行く大作をかましてきました。
石燕の『画図百鬼夜行』シリーズの中でも、三妖怪が同時に描かれているのはこの絵のみ。槍毛長(やりけちょう)、虎隠良(こいんりょう)、禅釜尚(ぜんふしょう)という三妖怪が描かれていますが、上の百鬼夜行絵巻と構図が全く同じなんですね。
ただ、手に持った物は同じになってますが顔と設定は大きく変わっちゃってます。
ところで右下の線香花火の最期みたいな妖怪はなんなんでしょう? 鼠?
お次は秘密の花園、醜女(しこめ)の楽園ゾーン。
化物女が化物女の化粧する姿を陰から覗いて笑う。
そう、これは滑稽で笑えるシーンなんですね。
さぁまたまた我らが斜め上を行く石燕先生は、この右下の醜女を元に、こんな妖怪を描いています。
袋貉(ふくろむじな)なる妖怪です。流石です。
お次は逃げ惑う袋貉の原型と思わしき右下の醜女と、棺をこじ開ける大きな赤鬼の姿。そしてこじ開けられた棺からは妖怪達が溢れだしています。
お前のせいか。
そしてコメント頂くまで気付きもしませんでしたが、塵塚怪王とこれも構図が同じ!
すげぇマジだ!
しかし百鬼夜行絵巻は躍動感があって良いですね。
今度はすり鉢野郎と弓矢妖怪古空穂(ふるうつぼ)、そして五徳を被っちゃったお茶目なネコさん。
そう、これは石燕が描いた五徳猫の元ネタでしょうね。
シーツ君物語FINAL。
「シーツに拘ってばかりだから駄目だったんだ。僕はこれから、タオルでいく!」
そして左にいるカマ野郎は、恐らく石燕の鳴釜の元ネタだと思われます。
よし段々疲れてきたぞ。
魑魅魍魎だわっしょいわっしょい。
お次は山颪(やまおろし)に凄く似ている針妖怪。
更には勤勉なカスタネットどら焼き妖怪と、猫又っぽい妖怪の姿。
そして、さっきの棺より更に大きな箱が登場。
これぞ魍魎の匣なり。
箱というのも昔から「何かが潜むもの」というイメージがあったんでしょう。
例えば舌切雀で有名なおもゐつゝらとか――
飛び出し躍る、ファニースカルな溝出(みぞいだし)なんかもいます。
さぁ絵巻もクライマックス!
何かから逃げ惑う妖怪達。一体化物が恐れるものとは一体なんなのか!⁉
終わりであり、始まりでもある太陽。
それが妖怪達の恐れるものでした。
ここでの太陽は神秘的な美しさよりも、禍々しいものとして、あくまでも妖怪達から見た畏怖の対象である太陽として描かれているのが面白いです。
石燕も、『今昔画図続百鬼』にて最後に「日の出」を配するにくい構成にしています。
ちょっと長くなり過ぎましたが、百鬼夜行絵巻の謎は未だ多数存在しており、未知な部分が凄く多いです。
もっともっと後年描かれている妖怪もいるのでしょうし、ぜひ研究してみて欲しいです。
今回結構ふざけて書いた部分もありますが、なんとなーく、この絵巻の作者も、娯楽として描いたんじゃないだろうか? なんて気もしました。
妖怪はやっぱり、もっと笑える、面白いものなのです。
そんなわけで百鬼夜行絵巻真珠庵本の妖怪探し、いかがでしたでしょうか?
水木しげるが石燕の『画図百鬼夜行』を真似て、石燕が百鬼夜行絵巻を真似る。
じゃあ百鬼夜行絵巻は何を真似たのか?
――妖怪の歴史もまだまだ謎に包まれているのです。怪異!