日の出(ひので)
『今昔画図続百鬼』より「日の出」
夫妖は徳に勝ずといへり
百鬼の闇夜に横行するは、佞人の闇主に媚びて時めくが如し
太陽のぼりて万物を照らせば、君子の時を得、明君の代にあへるがごとし
――『今昔画図続百鬼』最後の項に描かれているのが、この「日の出」である。
当然日の出を妖怪として描いたものでは無く、神聖な妖魔を打ち消す光として描かれている。
様々な百鬼夜行絵巻に於いても、巻の最後が太陽(あるいは陀羅尼の炎との解釈も)で終わっているものが多く、悪鬼羅刹を消し去るは神聖なる太陽の光、だと解る。
宗教上の価値観に於ける太陽の神聖さはもちろんのことながら、もっと現実的に考えた場合でも、逢魔時から夜が明けるまでの目の効きにくい不安な時間から解放され、明るい健やかな世界をもたらす日の出はどのような人にとっても有り難く、神々しいものである(ただし、夜勤明けの者にとっては疎ましいだろうが)。
鳥山石燕の『画図百鬼夜行』から始まる4冊の画集の中でも、この『今昔画図続百鬼』は特に内容が濃く、見ごたえあるモノになっている気がする。
それもその筈、まず『今昔画図続百鬼』の最初の項を飾るのが逢魔時であり、最後にこの日の出で終わる。妖怪が跋扈し始める時間の頭から、終わりまで――と解釈できるこの構成であるのだから、石燕も力を入れたのではないだろうか?
最後に、逢魔時と日の出の両方を載せておくので見比べてみてほしい。
なんだかワクワクするから。
『今昔画図続百鬼』より「逢魔時」