妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

お伊勢参りのおかげです――江戸時代の人気旅行の裏側

伊勢神宮に参りませう

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歌川広重画『伊勢参宮、宮川の渡し』

 

久々の江戸時代と妖怪特集記事。

今回はちょっと妖怪さんの出番は少ないかも知れませんが、江戸時代に大流行したお蔭参り(お伊勢参り)についてと、伊勢神宮の歴史をご紹介。

 

お伊勢参りが有名な理由

伊勢参りは、江戸時代に物凄い人気の旅行先でした。

他にも江の島なども江戸の人間からは人気だったのですが(箱根より手前は関所手形を取る必要がなかったから行きやすかった、との説も)、やはりお伊勢参りには敵いません。それほど、お伊勢参りは江戸時代の人にとっての夢だったんですね。

大規模なお伊勢参りは周期的に起きました。勿論年間通して参拝者はいたのですが、そうではなく、不自然とも言える突然のお伊勢参り熱が上がることが周期的にあったのです。

最も大規模だったとされるのが文政のおかげ年(60年周期で繰り返される、神様から恵み――おかげ――をもらえるとされる特別な年)で、お伊勢参りに行った人はなんと半年で500万人近く。実に当時の人口の6人に1人が言った計算になるとか。

この記事トップの画像、『宮川の渡し』に描かれている宮川では、1日で23万人が通った記録があるそうです。

なるほどただの旅行としてはちょっと大規模過ぎる、謎多きお伊勢参りなわけです。

 

伊勢神宮側の事情ゴニョゴニョ

――っていうか、伊勢神宮ってそもそも何さ?

という方の為に、伊勢神宮の歴史をちょっと見てみましょう。

伊勢神宮は、全国の神社の中でも超スペシャルな神社で、『日本書紀』にも「神宮」と付く神社は石上神宮と伊勢神宮しか出てきません。

そして何より主祭神が天照大御神(アマテラスオオミカミ)であることが何より特別な事の証。

 

天照大御神は、天孫降臨(高天原から3種の神器を持たせた瓊瓊杵尊ニニギノミコトを中つ国――つまり地上。ココ――派遣し、統治したとされる日本神話の出来事)の際、3種の神器を自分のように敬い奉ることを言い含めています。

それを神武天皇から皇室は守り、皇居に神器全てを奉っていました。

ところが十代崇神天皇の時、疫病が大流行し、国民の半数近くが死亡するという事態が起きます。崇神天皇は自らの不徳を恥じ、神々に懺悔し、自分一人で三種の神器全てを奉ることの限界を感じ、神器を分散することにしたのです。

そしてその場所を探して斎宮(伊勢神宮に奉祀する皇女のこと)が旅していたある日、伊勢の国付近で天照大御神から天の教示がありました。

「私ここがイイ!」

そうして建立された磯宮に剣と鏡とを奉ったのが、伊勢神宮の内宮(ないくう)の起源だとされています。

 

更に伊勢神宮では外宮(げくう)に豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祭っていますが、これもちゃんと事情があります。

ある日、天照大御神がまたも教示を下しました。

「私、最近前ほど安らかに食事ができないの。豊受大神を近くに呼んでちょうだい」

――というわけで、伊勢神宮には食事に関する祭事が多くなったわけです。

 

無敵の伊勢神宮かと思いきや、神仏習合では境内内に神宮寺を建立するなど、時代の影響にももちろん苦しみました。神仏習合自体は悪いわけでは無く、強大な力を持ってやってきた「仏教」と古来からの「神道」が仲良くやる上では欠かせない出来事だったのですが、シンプルに手を繋ぎ合える程にお互い浅い歴史ではありません。

当時、本地垂迹(ほんじすいじゃく)という思想があり、それは「日本の神道における神々は実は様々な仏の仮の姿である」というような思想なのですが、それに真っ向から抗ったのが他ならぬ伊勢神宮の外宮神官であった度会氏でした。

「んな考え許せるものくわ!」として本地垂迹とは真逆の、反本地垂迹を唱えたのが「伊勢神道」の発端となっています。

 

――随分と長くなってしまっていますが、そうして伊勢神道が起こり、それによってそれまでは皇族などの限られた人にしか参拝が禁じられていた伊勢神宮も、民間の人々も参拝することが可能となり、広まっていったのです。

ちょうど同じ頃、伊勢神宮は財政が苦しかったりもしました。

そこで御師(おんし)という布教師を全国に派遣し、伊勢神宮を宣伝して回りました。

それが、お伊勢参りフィーバーへと繋がったのです。

 

参詣の名の元に

実はお伊勢参りフィーバーにとって重要なのは、天照大御神よりも豊受大御神だったりします。というのも、字の通り食物や穀物の神である豊受大御神は農家の人々にとって受けがよかったんですね。

さらに、通行手形の入手は非常に難しかったのですが、「伊勢神宮への参詣ならば」かなり緩く許可が下りたのです。国の目論見もあるとはいえ、民衆にとってこれほど有り難いパスポートは無かったでしょう。

しかも、何もただ遊びに行くわけじゃあありません。そこには「参詣」という非常に強力な大義名分があったわけです。

今で言うゴルフの「健康的だから」のようなものでしょうか。

「しこたま遊んではしゃいでやるぜイッヒッヒ。でも勘違いするなよ? 俺ァあくまでお伊勢サンに詣でに行くンだからな?」

というわけです。

事実、お伊勢参りの帰りに大阪などで豪遊したり観光したりして帰る者も沢山いたのだとか。人間的でよろしいです。

 

とはいえ、そりゃ当然長旅にはお金がかかります。

これが「民衆の夢」になっている所以でもあるのですが、(時代によってはお伊勢参りに行く旅行者には無償でごはんをくれたり宿を貸したりするところもあったとか。ただし、ずっとそうだったわけではありません。寧ろそういった旅行者がはしゃぎまくって押しかけるから、お伊勢参りフィーバー自体を疎んでいた宿などもあったそうな。そりゃそうだ)そこで面白いシステムが出来ます。

それが、「講」と呼ばれるもの。

お伊勢参りになんてとても行けないような農民達がグループを作り、皆で少しずつお金を出し合い貯金します。そしてくじ引きをして、代表者数名だけがお伊勢参りに行ける――というシステムです。

ここでも当然「みんなの為にしっかり参詣してくるぜ!」と代表者は言ったでしょうが、本意はヒャッホーマジウレシイ、でしょう。

因みに、一度くじ引きで「当選」した者はその後くじ引きには参加できず、残った者で次回のくじを引きます。つまり、一応は「最終的には全員がお伊勢参りに行ける」優しいシステムだったんですね。

多分トラブルも沢山起きたんでしょうが。

 

 2014年のおかげです

さて。実は今年、2014年は所謂「おかげ年」にあたります。

60年周期ですから、一生に一度行ければ御の字でしょうか。

更に伊勢神宮では神様が新たな場所に引っ越す遷宮が20年周期で行われているのは有名かと思いますが、それも去年ありました。

いやぁ、さぞかし伊勢神宮辺りは儲けるんでしょうな。

僕は割と信仰に関しては冷静なので、そもそも誰が言いだしたのかわからん「おかげ年」なんていうのにも胡散臭さを感じますし(呪われる)、そもそも日本神話の神って要は大和朝廷とかの歴史を整理するための創作だからアニメキャラ奉ってんのと大差ないじゃん(祟られる)、とかたまに思ったりするのですが神社とかお寺の雰囲気大好きですし抗議されたら厭なのでそんなこと微塵も思っておりません。

 

ですがこれはマジで、死ぬまでには絶対行きたい場所の一つ。

超出不精の僕がいつ行けるのかは解りませんが、伊勢参りに行きたいと思っていた方は、マジで今年は超チャンスですよ。

遷宮とかおかげ年とかの影響(混み具合)が薄れる来年以降がチャンスだな――と思ってる僕みたいなひねくれ者を別とすれば。