妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

妖怪は「現象」から「キャラ」になることで流行った。

色んな妖怪研究の本を読んでいるとよく出てくる面白い「変化」があるので、優しくタッチしてみます。

 

何度も書いていますが、妖怪はキャラではなく現象や雰囲気を指す言葉でした。

「妖怪ももくり三年」みたく、現代ではキャラであることが前提のように妖怪という言葉を使いますが、かつては違いました(というか妖怪という言葉自体かなり新しいもので、それ以前は化け物、もののけ、が主でしたが、この辺の話はすごく長くなりそうなのでまたいつか)。

 

こうなっちゃった原因として、最も重要だと思われる変化が「地域々々で語られていた現象としての妖怪が、いつからか存在になってた」ということ。

簡単に例を用いて説明しますと――

 

ある地域では山に向かって声を出すと、その声が跳ね返ってくる現象がありました。それを不気味がった人々が、「ヤマビコ」という名前をその現象に付けました。

 

妖怪「ヤマビコ」の誕生です。が、ここでいう妖怪は現象そのものを指しています。

それが、いつ、誰がそうしたのか解りませんが、その現象は「ヤマビコ」という妖怪が起こしている現象だ、と言うようになりました。

現象だったヤマビコが、キャラとしてのヤマビコになっちゃったんですね。

ヤマビコっていう名前のヤツが起こしている、という風に変わっちゃったわけです。

 

現象が存在(キャラ)になっちゃったら、そりゃもう誰かが描いてみたくもなります。それに、そんな風に色んな地域のバケモノを絵に描いたらさぞ売れるだろう、とも考えるでしょう。

鳥山石燕は無欲で趣味で『画図百鬼夜行』を描きはじめた、と言われてますから違うかも知れませんが、多くの画家達が「売れるから」という理由で妖怪を多く描いたのは明白です。

 

――今現在、妖怪という言葉の概念は間違いなく「キャラありき」です。

夜に不気味な音が聞こえたとして、それを誰かが「妖怪だ」と言ったとします。そしたらその場にいる全員が、その音を出している妖怪の姿を考えるはずです。その音そのものが妖怪、という考えにはならずに。

 

僕の考えとしては、「妖怪っていうのは本当はそうじゃないんだよ」なんて偉そうに言うのではなく、もうそういう「キャラありき」の妖怪で良いんじゃないかと思ってます。

妖怪って語り継がれ、様々に変化して今までなんとか残っているものですし、その時代時代で意味もニュアンスも違うわけですから、今の妖怪というのはそれでいいと思います。それに、そうであるからなんとか生き残っているとも思いますし。

この辺りの「妖怪観」は、間違いなく水木先生の力が大きいでしょう。

江戸時代後半で無限増殖し、ちょっと下品な娯楽というイメージも付いちゃった妖怪を、再度練り直して絶妙な着地点に落ち着かせた――水木先生はそれに成功した気がします。

 

ところで、「妖怪へぇこいた」は現象なのか、存在なのか、どっちなんでしょう?

(つうか人間だろ? とか言った君は後で裸で職員室来なさい)

まぁそりゃ存在なんですが、もし仮に現象だとしたら、全人類が「妖怪へぇこいた」であるとも言える事になります。

なにそれときめいちゃう。