そうかも知れない日蓮宗講座
日蓮宗講座のお時間です
南無妙法蓮華経――。
日蓮宗は『法華経』を最重要とみなし、末法観漂う国を救うのはコレしかない! と日蓮聖人が開いた宗派であります。
宗教に対するイメージというのは十人十色でしょうが、創価学会の評判などから日蓮宗へのイメージも悪く思っている方もいることでしょう。
しかし何度も言いますが僕は無宗教ですし、冷静にその辺のことも調べて書いてみたいと思います。
勘違いや思い込みで毛嫌いするのは一番いけませんからね。
というわけで、何かとデリケートな部分の多いであろう、日蓮宗講座のお時間です。
日蓮聖人
異端児か革命家か
ほとんどの開祖は、天台宗の項で書いたように比叡山大学校の卒業生です。
日蓮宗開祖、日蓮も、やっぱり比叡山で学んでいます。
千葉県で漁夫の家に生まれた日蓮は、天台宗の寺に16歳の時に出家し、その後末法思想の蔓延る仏教界について思い悩みます。
日蓮は貪欲に仏教について学んだようで、禅宗も含めあらゆる宗派を学んだと云います。
そして、比叡山は天台宗で学ぶことにより、多くの仏教教義の中から、自分が「これだ!」と思えるものを選ぶこともできたわけです。
そして、日蓮は「法華経こそが釈迦の伝えたかった真の教えだ」と確信したのです。
天台宗も法華経を重要経典としていますが、それに特化したわけではありませんでした。総合仏教の俗名からも判るように、様々な要素を取り入れていたからですね。
更にちょっとマニアックに言えば、『法華経』の中でも天台宗と日蓮宗とでは着目していた点が異なっていた、というのもあります。
最澄が徳一と法華経の解釈について争ったことからもわかるように、膨大な内容でかつ直接的でない表現も多い経文において、着目する箇所の違いや捉え方の違いというのはよく起きちゃうことだったようです。
さて日蓮。
過激と取るか一貫していると取るかは人に依るのでしょうが、日蓮は道端で説法を繰り返し、特に浄土宗のことは「現実逃避の楽観宗教」と殊更罵ったようです。
※そこまで言うことは無いと思いますが、僕個人の意見として、確かに浄土宗の阿弥陀信仰はちょっと敷居下げ過ぎだよな、とは思っていたので、わからんでもないです。
浄土宗の「南無阿弥陀仏」を真似て「南無妙法蓮華経」を作った説もあるらしいのですが、なぜか日蓮は特に浄土宗を嫌いました。なぜか?
それは教義を紐解くと明らかになります。
浄土宗は、阿弥陀如来に念仏を唱え信仰することで、「来世の極楽往生」が約束される、というものでした。
一方の日蓮宗は、久遠の釈迦如来によって、現実を肯定することで現世で浄土を作り出すことができるという考え方です。
現実を放擲し来世に期待! な浄土宗を絶対に認めることができなかった理由はそこにあるのです。
また、国に対して何度も「法華経を国教にしてよ」と頼んだり、様々な予言をしていたりもしたそうです(因みに有名な逸話ですが、蒙古襲来をその直前まで予言し続けていたそうです。すごい)。
その為、反発もすさまじく、国からも「日蓮アイツヤバイ」とされてしまい、迫害も受けています(佐渡に島流しにされたり浄土宗信徒から焼き討ちに遭ったり色々)。
それでも法華経を信じた日蓮は、佐渡への島流しを許され、本土へ戻ってから、山梨県は身延山(みのぶさん)に久遠寺を開山し、日蓮宗総本山としました。
――日蓮聖人は、真剣に釈迦の教えを考え、法華経を信じ、平和を願った偉大な人物であります。
ただ、僕の考えでは、唯一仏教界において「自らの名前を宗派名にしてしまった」ことが、後の様々な新興宗教やもめごとの要因になったような気もするのです。
日蓮宗と創価学会の違い
日蓮宗は、今尚多くの宗派に分かれ、30以上存在すると云われています。
そしてどうしても避けて通れない、避けて通りたくともそうすべきではないと思われるのが、創価学会です。
なんだか日蓮宗とイコールのように捉えている方もいるようなのですが、日蓮宗は従来の通り釈尊(釈迦)を本尊とし法華経を重んじ、統廃合の歴史の中で柔軟な姿勢、かつマジメな教義を貫いてきた宗派です。今でも法華経系では最大の信徒数を持つ、妙な言い方ですがちゃんとした宗派であります。
一方、創価学会は、日蓮宗の分派の中でもちょっと変わった性質を持っていた「日蓮正宗」の信徒団体が発祥です。
日蓮宗と正宗で大きく何が違うかというと、あくまでも釈迦をテッペンに置いている
日蓮宗と異なり、正宗では「日蓮を」テッペンに置いてしまっているのです。釈迦より上に日蓮聖人がいるんですね。
※それの是非は人によって様々な解釈があるでしょう。創価学会に限らず、あらゆる宗教はそれぞれのルールを持ってやっているわけで、一辺倒に特定の宗教を非難するというのは間違っていると思うので、ここでは是非については触れません。
で、創価学会はどういういきさつで宗教として独立したのかは謎らしいのですが、ちょっと過激にやりすぎたことがイメージ悪化の原因だと云われています。
日蓮宗のみならず日蓮正宗ともある時期に揉めた創価学会は、正宗からも破門を言い渡され、今に至ります。
特に創価学会のイメージを決定づけたのが、折伏(しゃくふく)です。
折伏とは、本来の意味としては「どんな罵声を浴びようとも真理を追い求め教義を信じ人々に伝えていく」というようなものなのですが、創価学会が1900年代半ばに行った大規模な折伏が「強引過ぎる危険な勧誘」というイメージをその言葉に植付けてしまったのです。
ただ、その大規模な折伏は、なんと3000しか信者のいなかった創価学会を、75万以上の教団へと一気に変える凄まじいものだったそうです。
また、創価学会は否定的な姿勢でも知られています。釈迦をも否定し、他宗派も否定する。更に今でも尚、日蓮正宗とは盛大に争っているようです。
それにどのような真意があるのかはわかりませんが、そのあたりはもっと上手くやればいいのに……とは思います。
ただ、真の仏法を求めた日蓮も、辻説法で浄土宗を徹底的に避難していたりしたわけで、お家芸と云えなくもないかもです(そんなこと書いたら日蓮宗の方に怒られそうですが)。
しかし救われる者もいる。
宗教というのは本当に難しいものです。
事実、創価学会は信者を増やし続けています。創価学会の教義により救われた方にとっては、創価学会は何かがおかしい、と喚きはするものの現実で苦しむ者こそ、間違っている人、に見えるのです。
宗教に何を求めるのか?
宗教をどう捉えるか?
それが自分の中ではっきりした時、初めて自らの意志で信仰する宗教を選ぶべきなんじゃないか、と僕は思います。
信者と書いて「儲」という字――なんていうブラフがまかり通る世の中。けれど金が無きゃあ宗教もできぬ。
嗚呼厭だ厭だよ世も末だ。
そうさ末だよ末法さ。
救われたけりゃあ唱えなせぇ。
南無妙法蓮華経さ。
ネットは罵詈雑言魑魅魍魎流言飛語に満ちています。
その中からあなた自身が正しいモノを選択し、噛み砕いていかねばなりません。
喩え選択したものが間違っていたとしても。
迷わず、惑わされず、流されず。
あなたの信念に基づいたものを得て、そしてそれを人々に伝えていくのです。
それが、本来の、折伏。
南無妙法蓮華経。