妖怪でも解る仏教講座~仏教がやってきた! 編~
仏教キタ――(゚∀゚)――!!
はい、では、「え? マジでまだやるの?」という野次を全力結跏趺坐スルーして、前回お釈迦様編と題してガウタマ・シッダールタの誕生からインド仏教衰退、更に日本にいよいよくるぞぉ! っていうところで連ドラばりのブッダまげブッダ切り終了しました。
二度もブッダ! もうブッダ記事じゃないのに!
――細かな宗派に分かれる前の最後のクッションとして、日本に伝わってからのゴタゴタな歴史をこの記事ではざっくり解り易く追っかけようと思います。
仏教来たけど簡単に受け入れられるわけないのです
ご存知仏教が日本にやってきたのは、538年百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)からの使者が仏具経典等を欽明天皇に献上したことから始まります。
それまで我が国にはそもそも宗教なんて概念が無かったようで、「神道」なんて言葉も存在していなかったのですが、始めて異国の強大な「仏教」を前にし、「神道」という言葉も生まれたといいます。
さて、突然朝鮮半島からやってきた仏教。よしじゃあ信仰しましょう♪ なんてなるはずもなく――
欽明天皇「ねぇ臣下のみんな。異国の神様も祀っていいと思う?」
蘇我稲目(そがのいなめ)「当然でしょう。他国はどこも仏教を受け入れていると聞きます。我が国も遅れを取らぬよう、すぐにでも祀るべきです!」
物部尾興(もののべのおこし)「えぇッ⁉ ダメに決まってるでしょう! 我が国には既に八百万の神々がいらっしゃる! 異国の神を受け入れるなど、古来の神々もお怒りになりますぞ!」
こういう感じで、仏教を巡る崇仏派と廃仏派の争いは内乱にまで発展。
実に50年近くその争いは続き、天皇も変わって用明天皇の時代、遂に蘇我氏サイドの勝利で終結しました。
因みにこの用明天皇というのは聖徳太子のパパ。更に崇仏派の蘇我稲目の孫でもあり、当然自身も崇仏派でした。
パパの意志はしっかりと息子に継がれ、聖徳太子は推古天皇の元で仏教を基盤を基盤とした政治に力を入れて行きます。
仏教無双と思ってたのに……
国全体の管理にまで仏教が用いられるようになり、日本にとって仏教は無くてはならないものになっていきました。
しかし、当時の仏教は大きな問題を抱えていました。
それは、ちゃんとした僧がいないこと。
本来仏教の僧は、戒壇院で受戒することでようやく正式な僧となります。だのに当時はそういう制度が整っておらず、仏教だけが独り歩きして正式な僧が極めて少なかったのです。
そこでなんとかせにゃならん、とのことで本場唐から呼ばれたのが鑑真和尚(がんじんわじょう)であります。
豆知識ですが、鑑真和尚はなんとか日本の仏教界を救おうと、五回も日本への渡航に挑み失敗しています。その時に失明してしまったりもしました。
そして六度目にしてようやく日本へと辿り着いたのです。
で、鑑真和尚のお蔭で東大寺に戒壇院が設けられ、日本で初めて受戒制度が確立したのです。鑑真和尚ありがとう!!
鑑真和尚の開いた律宗を含め、当時六つあった宗派は全て国家公認のものとなり、「南都六宗」と呼ばれ栄えました。
さぁさぁ仏教無双だうぉらぁ!
――となるかと思いきや、仏教はここからまさかの衰退を始めます。
というのも、法相宗、華厳宗、律宗、三論宗、成実宗、倶舎宗の南都六宗は、互いに学び合い高める学問仏教的であり、敷居も高く、更に言えば上座部と大乗に分かれた時の、ちょうど上座部仏教のような性質を持ってしまっていたのです。(よく間違われるようですが、上座部的であっただけで、あくまでも大乗仏教ではあった、ということ)
加えて、中央権力と結びつき過ぎた各教団はどんどんとその力を濫用し、挙句堕落していくことになるのです。
しかも、寺院の建立を急ぎ過ぎたせいもあり、財政までも圧迫される羽目に。
この腐った世界を
やばいやばいマジやばい。
そんな混沌とした時世に即位してしまった桓武天皇。そして閃いた桓武天皇。
桓武天皇「よし。仏教がもうぐちゃぐちゃでこのままだと国もヤバイので、ちょっとこれから平安京に引っ越します。あ、因みに奈良の寺院はこっちに越してくるの禁止な」
桓武天皇はこうして仏教と政治との癒着を断ち切ろうとしたのです。天皇にも疎まれたやり過ぎ仏教。
しかし仏教界を救う二大ヒーローがこの頃満を持して登場するのです。
「お前はもう……悟っている!」
弘法大師こと真言宗開祖・空海(くうかい)!
「この腐敗した仏教界を変えてやる!」
伝教大師こと天台宗開祖・最澄(さいちょう)!
この二人の僧の登場は今に繋がる仏教にとってとても大きな出来事でした。
どんな風に、というのは今後書く予定の各教団記事に任せるとして……
妖怪が出てこない件
江戸か。やはり江戸時代にまで到達せねば妖怪ちゃん達は出てきてくれないのか⁉
確かに妖怪の原型と言える「鬼」なんかは平安時代頃から使われ始めるわけですが、妖怪妖怪した(⁉)モノはまだまだ先の様。
しかし、仏教よりも古くからこの国にある神道の基本的な「森羅万象に神は宿る」という考え方が、何よりも妖怪誕生には必要だったと思います。
きっと様々な場所で、既に妖怪譚は存在していたはず。
それが仏教伝来によって刺激を受け、更に仏教のみならず中国の神々まで取り込んで、時代の節目節目で様々なエネルギーを吸い込み、後の大フィーバーへと繋がったと思うのです。
神と仏の合わせ技なくして妖怪誕生はなかった――気がするのです。