河童さん特集~もう、カッパ巻だけじゃ、足りなくて~
河童祭りです
拝啓
皿の乾きやすい季節になり、河童の皆様も苦労の絶えぬこととお察しいたします。
河童の皆様のお力添えのお蔭で、私達人間が健やかに生きていること、内心複雑な思いでおります。
この度は、河童記事も充実してきたこともあり、かねてよりお知らせしていた「河童祭り」をようやく開催する運びとなりました。
皆様ご多忙とは思いますが、河童のかつての威光を取り戻そうという趣向のこの催しに、何卒出席を賜りたくご案内申し上げます。 敬具
開催場所:カッパ寿司・河童一本釣り本店・地下三階鮮魚冷凍庫内
日時:常時開催しております。開催場所にてお待ちください。
開催期間に関しては、十分な数の河童が集まるまでと予定しております。
――河童さん達への招集の手紙も送り終えたので、河童祭り開催です。
河童は周知の通り古くから妖怪界の(ほぼ)トップに君臨し続けています。
歴史の古さや目撃事例の多さ、伝承の残る地域の多さ等々、色々な部分で群を抜く妖怪です。
ところで、河童って、やけに「リアリティがある」と思いませんか?
その他の妖怪とは違って、「下手すりゃマジに存在してるかも知れない」という謎の説得力が河童にはある、と僕は感じます。
その原因となっているのが、恐らく江戸時代に起きた「何でも図鑑化計画(勝手に命名)」だと思います。
徳川吉宗の時代に起きた改革で、全国の様々なものを絵に描き書に書きまとめる、という一つの風潮が出来ました。その結果、それまでなんだか解らなかったモノも、明確に調べる必要があったわけです。
そんな時に、この河童は大きな悩みの種になりました。
「結局河童ってマジなの? それともただの想像なの?」
多くの学者が頭を抱え、否定する者、肯定する者とに分かれました。
河童の存在を肯定した学者達は、絵に河童の生態を残したりもしています。
水虎十弐品之圖より
多分、実際に河童を捕まえた学者なんていないのでしょうが、あまりの目撃報告の多さや、分布の広さのせいで「これだけ目撃例があって全国に伝わってるのに、実在しません、なんて書けるかよ!」という勢いももしかしたらあったのかも知れません。
・色々な河童さん
こちらは鳥山石燕が描いた河童です。
石燕は画中文にて「川太郎ともいふ」と付け加えています。そう、河童さんは全国に分布しているだけあって、名前も膨大なバリエーションを持ちます。
河童とはこうである! と明確に言えないのもそのせいで、地域地域で異なる河童が存在している為にひとまとめに出来ないんですね。
考え方としては、「河童」というのは一つの大きなカテゴリと思うといいかも知れません。その中に無数の小さなカテゴリがあり、様々な名前がある、と。
また、真偽不明ですが中国から渡って来た説もあります。
河伯(かはく)という黄河の神様が中国にはいて、それが河童の語源になってるのではないか? とか、この画像、「水虎」が中国から渡ってきたのではないか? とか。
ただ、この水虎に関しては、先に述べた江戸時代の学者達の「河童とはなんぞや」研究の際に「中国にも河童みたいなのいるんじゃね?」という推測の元で調べ、「おぉやっぱいたいた。水虎ってヤツがそれっぽい」――という早合点で、元は違う妖怪であるのにイコールにされてしまった、という経緯があります。
河童には二つの形態があるとされています。一つは甲殻河童形態。もう一つは、毛纏類人猿形態。形態が二つ――とかネタじゃなく言われている時点で河童がいかに複雑かを垣間見れます。
そしてここで紹介する「猿猴(えんこう)」は、字の通り猿のようであるという特徴があります。前述した猿形態ですね。また、河童の正体説には獺が河童の正体だ、という説も多いです。その証拠に、石川県や富山県には「カブソ」と呼ばれる獺とも河童ともつかぬ妖怪が伝わっています。
……なんだただの変なおっさんか。
さてここで一度、河童に分類される妖怪をざっと書いてみます。
ガワッパ、ガータロ、メドチ、カワエロ♡、河太郎、ガッコ、ガッタイ♡、ガッタラボシ、メンドチ、ドチガメ、ガラッパ♪、カワランベ、カブソ、カワッソー、ひょうすべ、などなど。
あと当妖怪図鑑で紹介した、岸涯小僧(がんぎこぞう) や、珍しいメスの河童である海御前(あまごぜん)なんかもいます。
なんともガだらけでガガガ頭の中がガガガ壊れそうにガガなってきますがガガ、とにかくここに挙げたものも氷山の一角に過ぎず、地方によってまだまだ存在すると思われます。
ちゃっかし最後に書きましたが、この恐ろしいイッテルおっさん代表「ひょうすべ」も、実は河童の一種と言われています。
起源を中国の「兵主神」にまで遡るひょうすべは、兵主神の水神としての特性から河童の一種となったのかも知れません。あなどれませんこの変態。
・河童の正体
では最後に、禁断の河童の正体を探りましょう。
「河童」の記事で書いていることと重複する内容もありますが、悪しからず。
最も一般的な河童の正体説は、水難事故関係の説です。
治水整備されていなかった昔の日本では、河や海などの傍では水難事故が今より遥かに多くありました。
その為、子供達を水場に近付けないよう、脅しの為に「河童が出るから行くな」と言い含めたのです。
また、それを守らずに水場に近付き、命を落としてしまった子供達の姿を見て「河童」が生まれた、とも言われます。あるいは、水神の祟りとも考えられたのでしょう。
水死体の特徴であるブヨブヨで黄門様が大きく開いている様子から、「尻小玉を河童に抜かれる」という話が生まれた、とも言います。
水難事故、子供、水神の祟り――こうして並べて考えてみると、河に棲む妖怪が誕生するのも自然なことのように思えます。
他には、前述したカワウソ正体説。
カワウソの可愛らしい姿から、あの河童が生まれたとは考えにくいかも知れませんが、多くの昔の人が信じていた説でもあります。
それに一時期江戸で流行った「河童のミイラ」の多くは、身体にニホンカワウソの死体を使ったものだったと言いますから、今日に伝わる河童のイメージにも、カワウソ要素が少なからず入っているのだと思います。
そして、他でも書きましたが、「キリシタンの水浴び」説。
暴論のようでもありますが、迫害されていた事もあるキリシタンを妖怪としてしまう、なんてこともありそうと言えばありそうな話。
ここで、かなり昔に僕が河童記事を書こうとした際、ヒド過ぎてボツにした「キリシタンが河童になったヨの図」という黒歴史的絵が見つかりましたので、この際ですし、勇気を出して晒します。
キリシタンの方が水浴びする様子を描いた我ながら才能しか感じない渾身の一枚。
ここまで真面目に書いてきた河童達全てを一気に台無しにする力は圧倒的です。
『百怪図巻』と比べると――
なるほど『百怪図巻』もキリシタンに見えないことも無いです。
というかこの「かわつは」の絵を元に、なんとかキリシタン説を立証しようと試みようとした僕の涙ぐましい努力を感じます。
どうか忘れてください。
――さて。
結局のところ、河童というのは正確な起源が未だ解明しておりません。
だというのに現代においても愛され続けている妖怪です。
冒頭の画像に使わせて頂いたsakkiさんの河童のように、愛らしいキャラクターとして今も新たに河童が生まれていたりもするのです。
まだまだ研究途上の河童さん。きゅうりを食べる時だけでもいいので、河童の事を思い出してあげると、きっともっと河童さん達も長くこの国にとどまっていられると思います。
※追記
河童の起源を追う結構ガチな記事書きましたので合せてご覧ください。