紅葉狩(もみじがり)
『今昔百鬼拾遺』より「紅葉狩」
余五将軍惟茂、紅葉がりの時山中にて鬼女にあひし事、謡曲にも見へて皆人のしる所なれば、こゝに贅せず
紅葉狩は、紅葉という名前の女性に纏わる伝説。また、紅葉は鬼女であると言われたため、妖怪画にも描かれているのだと思われる。
ものすごぉく強引に簡潔に紅葉伝説を纏めると――
会津に子供に恵まれない夫婦がいた。夫婦はなんとしてでも子供が欲しかった為、大六天魔王に祈り、その甲斐あって子供を授かった。(しかし魔王にお願いして授かった子だったので、何だか様子がおかしいぞ?)
その子は呉葉という名で、大変美しく、頭もよかった。その為難なく源経基の目に止まり、局にまでなり、子も授かった。
その頃、呉葉は紅葉と名前を変える。
しかしほどなくして経基が病にかかり、比叡山の高僧が「それ、あの女の呪いでっせ!」と紅葉の恐ろしい力を見破り、呉葉は信州戸隠へと追放された。
一度京での華やかな暮らしを味わってしまった紅葉は、なんとかまた京に帰りたいと、軍資金集めの為に郎党を雇い村々を襲うようになる。
この時、京には「戸隠に鬼女現る」との報が届いていた。
そこで平維茂(たいらのこれもち)という当時信濃守(しなののかみ)であった男に勅命が下り、鬼女討伐を命じられる。
実に季節は紅葉狩りの時。紅葉は初めは妖術にて平維茂を追い返していたのだが、結局討伐されてしまい、紅葉伝説は幕となる。
――この紅葉狩りは、石燕も「謡曲にもあるしみんな知ってると思うから詳しく書かないよ」と解説文で言っているように、能の演目などで幅広く知られているらしい。
無学な僕はしりませぬ。
この紅葉と平維茂とが争った場所や、紅葉が名付けた村等は現在でも長野県に実際に残っている。
鬼無里という、紅葉が流浪の末に行き着いた村も長野県に現存しているが、面白いのはその鬼無里における紅葉伝説では、紅葉はすごく良い女性で、施しを村人達にした「貴女」として伝わっていることである。
「貴女」と「鬼女」。
果たして真実はどちらなのだろうか?
本当は優しい女性だったのに、人々が面白おかしくする為に「鬼女」に仕立て上げてしまった可能性は充分ある。
もしそうだとしたら、鬼女に仕立て上げた人々こそ「鬼」である。
↓は月岡芳年が描いた紅葉狩のワンシーン。
『新形三十六怪撰』より「平惟茂戸隠山に悪鬼を退治す図」
これもちさんを誘惑しようとする紅葉だが、盃に映る紅葉の姿は鬼だった――という図。平維茂がしかめっ面で刀に手を掛けているのがカッコいい。