妖怪って本当にいるの?
ネット上でも、またプライベートでも、「妖怪」と聞くとまずはこの質問がダントツの「よくある質問」でしょう。
確かに自分のよく知らない存在についてまず気になるのは実在するのかどうか? なのは理解できます。
しかしそれを「妖怪」というモノで考えると、話は随分ややこしくなります。
理由は、第一に「妖怪」というものが未だ定まらない曖昧なモノであるからです。
怪異でもあり、化け物でもあり、戒めでもあり、呪い(まじない)でもあります。
まず知っておいて欲しいのが、そもそも妖怪という言葉は、実際に目に見える何かを指す言葉ではなかった、ということです。字を見たって「妖しい」と「怪しい」がくっついているだけのよく解らない言葉です。つまり妖怪という言葉の意味自体も、読んだ通りよく解らない妖しくって怪しい現象、存在等を指してたんです。
また、妖怪という言葉が使われ始めたのも平安時代頃からで、その前まではやはり「理解できない現象」という意味で「もののけ」や「ばけもの」が主に使われていました。
――そんな曖昧な「妖怪」を「実在するかも知れない」と人々に思わせるようになったのは、「絵」の力です。
平安時代から江戸時代にかけて、それまでは姿形の無かった現象に名前が付けられ、絵として描かれるようになります。
これは地味ですが非常に大きな出来事で、絵になることで初めて人々は妖怪を具体的に頭の中に思い描くようになったわけです。イメージできるという事はすごく大事なんですね。
特に現代まで影響する妖怪画を描いたのが、この図鑑でも多数紹介している鳥山石燕です(『画図百鬼夜行』とか)。石燕の絵は多くの絵師達に影響を与え、現代でも水木しげる先生の妖怪の多くが石燕の絵を真似ていることからも、石燕の妖怪画の凄さが解ります。
石燕の妖怪画を見て、「あ! 水木しげるの真似してる!」なんて言っちゃダメですよ。逆です。
――ここまで読めばうっすらと気付くとは思うのですが、ほとんどの、人々が頭に思い描ける妖怪というのは創作されたものです。
しかし大事なのは、それら創作された妖怪も、元になった伝承がある、ということです(全部じゃないです。単純に何の伝承も無く創作された妖怪もいます)。
「じゃあやっぱりいるんじゃん」
と考えちゃうのは早計です。
各地に伝わる伝承は、先に述べたように戒めとしてであったり、地域特有の地理から生まれた言い伝えであったりと様々。
そしてそれらの多くは、妖怪が持つ本来の意味通り、理解できない現象を指している場合が多いのです。
更に、いるか、いないか、を考えるならば、ある未確認の不思議生物を「妖怪」という理解できないモノの中に入れた上で、「いるかもね」としか言えません。
逃げのように聞こえるかも知れませんが、例えば「妖怪かも知れない」と噂されるある生物がいたとして、ある日誰かがその生物を捕まえ、解剖され、新種の生物だと解ったとしましょう。それでもその生物は「妖怪」と呼べるのか? ということです。
姿カタチもはっきりしてしまった生物は、怪しくもなんともありませんし、最早理解できないモノではなくなってしまいます。
書いてる僕も段々頭が妖怪みたくなってきましたが、「いるかもね」という認識が妖怪である上での最後のラインで、それを超えて「いる」と断言できてしまう存在はその時点で妖怪ではなくなる気がするのです。
なんとな~くですが、日本人というのはその辺の微妙な「妖怪」のニュアンスを無意識で理解できてるような気もしてます。
上に挙げた例で、仮に誰かが新聞に見出しを書くとしたら、
「遂に妖怪が捕まる!」
と書くでしょうか? タブン、
「妖怪の正体は〇〇だった!」
と書く気がします。
捕まった時点で妖怪でなくなる事をなぜか知ってるような気がするのです。これは今ふと思っただけですが。そうじゃない、と言う方いたらごめんなさい。
因みに、物理的存在の有無でないのならば、確かに妖怪が「いる」ところがあります。それは心の中です。
妖怪学でも有名な井上円了は、妖怪を「心これなり」とも言っています。
人の不完全な脳は、恐怖や様々な要因をきっかけに、時にそこにいるはずの無いモノを映してしまったりもするのです。
日本各地の伝承にも、こういった見間違い等が原因だと思われる妖怪が沢山います。
そして心が妖怪を生む際に、重要な資料となるのがこの妖怪図鑑でも紹介している妖怪画の数々です。
(ただし、円了の言う妖怪と、現在言われる妖怪はそもそも指しているものが違うのですが、そこはここでは触れません)
是非とも、古の妖怪画を眺め、心に妖怪の沸く為の養分を蓄え、魑魅魍魎と戯れて欲しいと思っています。
纏めると、物理的に触れることができるような形での妖怪というのは存在しないでしょう。いません。
しかし、「いる」ような気がすることはありますし、また「ある」ような気がする時もあります。
また、屁理屈に聞こえるかも知れませんが、伝承の中や心の中、はては過去の多くの作品群の中に確かに妖怪は存在しています。
いないけどある。
妖怪とは、そのように曖昧で、妖しく怪しいヤツラなのです。
この文章を読んでモヤモヤしたのなら、それこそ妖怪を現すキモチだと思ってください。