熊風(くまかぜ)※ちょっと閲覧注意
熊風
熊風は、北海道で大正時代に起きた、日本で最も規模の大きかった獣害事件、「三毛別(さんけべつ)羆事件」において、ヒグマを射殺した直後に天候が急転したことから名が付いた怪異である。(それ以前にも伝承はあったらしいが)
この三毛別羆事件は、初めて知って詳細を調べた時には戦慄した。
妖怪譚など比べ物にならない、生の恐怖を感じたのである。
というわけで、半端じゃない怖さのヒグマたんについてちょっと紹介する。
グロな部分もあるので注意。
――1915年の年末、北海道苫前郡の開拓村で起きた事件である。
11月のある日、村内に巨大なヒグマが現れた。
朝であった為に目撃者は少なく、被害もトウコロコシを食べられただけ。
特に珍しい事でも無かったのだが、村の者達はヒグマの残した足跡のあまりの大きさに不安を抱き、念のためマタギ(要は猟師)を呼んでそのヒグマを待ち伏せたが、仕留めることは出来ず、天候の悪化も相まって結局そのままとなってしまった。
その時しっかりと仕留めていれば、後の惨劇は防げたわけだが、この時の天候悪化もまた「熊風」であったのかも知れない。
数週間後。
長松要吉という伐採を生業とする男が、昼飯を食べる為に家に戻った。
見ると家の土間の囲炉裏端に、この家で預かっている、6歳になったばかりの幹雄がぽつねんと座っているのが見えた。
「のんきに寝ていやがる。どれ脅かしてやろう」
要吉はそう思い大声を出しながら幹雄の肩に手をやった。
――瞬間、要吉の目には幹雄の衣服に付いた大量の血に目が留まった。
そのまま視線を幹雄の顔に向けると、幹雄の喉がえぐられており、更に頭部に大きな穴が開いているのも見えた。死んでいたのだ。
家の奥の方からは異臭もする。
この家は主の太田三郎と妻のマユも住んでおり、マユはこの時間家にいる筈である。
しかし姿は無い。
要吉は青ざめて、慌てて家を飛び出し助けを呼びに行った。
数人の男を連れて戻った要吉は、それがヒグマの仕業であったことを知る。
マユの遺体は見つからず、変わりに血の付いた頭髪だけが窓枠に付着していた。
この件で村は騒然となった。
翌日には300人の捜索隊が結成され、マユ捜索にあたった。
足跡を辿って行き、以前ヒグマを追い詰めた場所で、再びヒグマを見つけることができた。
袈裟掛けの白い斑点。巨大な体で、頭だけが更に異様に大きい。
慌てて仕留めようと銃を構えた捜索隊だったが、普段の手入れの雑さが災いして、実際に発砲できたのは一丁だけだった。もちろん、それで仕留められるはずもない。
ヒグマはすぐに逃げ出した。
そして、ある男が雪の中に真っ赤に染まる部分を見つけ、掘ってみると――
マユの脚と、頭蓋の一部のみが出てきた。
「人の味を覚えちまったな。こうして保存してたんだ。ヒグマの習性からして、アイツは必ずまた村に来る」
マタギの男がそう言った。
同日夜。マユと幹雄を殺された太田家では、少人数ながらも葬儀が行われていた。
そして――ヒグマがそこにやってきた。
当然会場はパニックとなり、ヒグマは棺桶をひっくり返したりと大暴れしたが、誰も襲わずにすぐに逃げて行った。
その僅か20分後。
避難者や一番最初のヒグマ発見者である要吉も含めた10人が留まっていた明景家(護衛等は葬儀中のヒグマ出没を聞き付け皆出払っていた。家内にいたのは女子供ばかり。要吉はお爺ちゃん)に、ヒグマが現れた。
明景家内で最初にヒグマを発見したのは、生れたばかりの梅吉という男の子を負ぶいながら葬儀用の夜食を作っていたヤヨという女性だった。
突然家に地響きがしたかと思ったら、黒い塊が部屋に飛び込んで来た。
ヤヨは慌てて逃げ出そうとしたが、10歳の長男が怯えてヤヨの足にに縋り付き、よろけてしまう。
そこをヒグマに狙われ、まず負ぶっていた梅吉が噛みつかれた。
次に要吉が腰を噛まれ、直後逃げ回る子供二人を撲殺した。
その時、隣家から避難してきたタケという妊婦が、ついうっかり隠れていた場所から顔を出してしまい、ヒグマに見つかってしまう。
タケは「殺してもいいけどお腹の子だけは助けて! お腹だけは破らないで!」と懇願したが、無残にも上半身から食われた。
物凄い物音と悲鳴を聞きつけ、男達が明景家にたどり着いた時、そこは血の海だった。
更に、家の奥からはタケと思われる女性の呻き声と、骨を砕く音が聞こえる。
家を10人ばかりで取り囲み、空砲を撃つと、ヒグマはすぐに逃げ出して行った。
家の中には、子供二人の遺体と、食い裂かれたタケの遺体、そしてタケの腹部からは胎児が見えていた。
未曽有の獣害事件解決の為、遂に軍も派遣された。
そしてヒグマ最期の時。
ヒグマを仕留めたのは、陸軍ではない、討伐隊に入っていたマタギの山本兵吉という男だった。
悪名高い男でもあったようでマタギとしての腕は一流だが評判は悪く、討伐隊へは村長の独断で入れられていた。そんな男がこのヒグマを仕留めるのだから、なんとも皮肉な話である。
ヒグマを仕留めた時、兵吉は冷静だった。
討伐隊が大挙してわいわいやってくる。ヒグマはそれに気を取られ、臭いを嗅ぎ取られないように風下からそろりそろりと近づいて来る兵吉には全く気付かない。
日露戦争の時の戦利品であるロシア製のライフルを手に、兵吉は木の影からゆっくりと狙いを定め、引き金を引いた。
一発目は恐ろしいほどの正確さで心臓を射抜き、さらに続けて放った二発目はこれまた正確に頭部を射抜いた。
銃声を聞き、駆け付けた討伐隊が見たものは、村を恐怖に陥れ、村人を沢山殺したヒグマの死体だった。
――全く恐ろしい事件である。
ヒグマの大きさは、冒頭の画像の通り、家と同等の巨大さ。あれに突入されたら立ち向かう前にまず腰が抜ける。
この三毛別羆事件は、多くの教訓を得ることができるので、ぜひ一度自分でも調べてみて欲しい。ググれば無数にヒットする。詳細を知ると更に怖くなるが、人間の無力さや迷信の無意味さなどがよく解る。
結局この事件は、人間と熊との生活範囲が被ってしまったことが主原因と言われており、森林伐採などを強行してきた人間にも非がある。
ふと思ったのだが、妖怪にしろ動物にしろ、「共生」というのは何も「同じところで暮らす」ってわけじゃないよな、と思った。当たり前なんだけど。
例えばだけれど――熊は森で、人は野で、妖怪は狭間で。
それをやめて「同棲」しようとしちゃうから色々おかしくなる。バランスが崩れる。
人も熊も妖怪も男も女も。
なんて熊心地におもひぬ。