崖っぷちのダキ
ダキ
おうおうよく来たねぇ。この辺りにはあんたらみたいによく船が遭難して辿り着くんだよぅ。
もう安心なさいな。この崖のちょっと行った所に洞窟があってね、食べ物も沢山あるから、分けてあげるよ。さぁおいで。さぁ――
ダキは、佐賀県の、それも海岸沿いの崖によく現れるという女性の姿をした妖怪である。
前述のように優しく近付き、魚をねだるのだという。
心細い時にほどよく現れるようで、ダキの言う通りに釣った魚をめぐんであげればダキも心を開き、本性を現し、生き血を吸われる。
ダキの優しさを拒み、逃げようとしようものなら、やっぱり生き血を吸われる。
ごまかす術を心得ていなければ、ダキから逃げることはできないのだと言う。
因みにダキは、方言で「断崖」を意味するのだという。
――ヒトは断崖に追い詰められ、恐ろしい形相の女に迫られる。
あぁもう終わりだ。仏様、私の悪行がこのような最期を齎したのですね。
その時、空から一本の糸がすぅと落ちてきて、崖と、遥か彼方の陸地とを結ぶ線となった。蜘蛛の糸のカンダタよろしく、ヒトは最後の望みとその糸の上を歩き出す。
「上でもない、下に飛び降りるでもない。僕は横に、歩き出す!」
まっすぐに、ヒトらしく、歩き出す。
絶望の崖っぷちに立たされたとしても、僕らは歩き出さなければならない。
背後ではダキが糸にしがみつき、ゆすっている。
佐賀県民に喧嘩を売るかのごとく、ヒトは叫ぶ。
「ダキなんかしらねぇよ! 妲己とかぶってんじゃねぇか!」
ダキは傷ついた。それだけは言ってはならないことだったのだ。
中国の妲己は、才色兼備かつ悪女であり、醜く賤しいダキにとっては憧れの存在だった。
ダキの漫画コレクションの中でも、一番気に入っているのが『封神演義』であり、妲己の登場するコマには全て付箋が貼ってある。
憧れが妬みとなり、妬みは怒りとなり、怒りはダキをより醜くしていったのだ。
そこに触れてはならぬ。
ダキは重く暗い呻き声をあげた。
遠ざかって行くヒトの背に、ダキは罵りの言葉を浴びせた。
「そうさあたしは醜いダキさ! なぜあたしが生き血を啜るか知ってるかい? 妲己だよ! 酒池肉林さ! あたしが妲己に近付くにはねぇ、お前たちみたいな人間の生き血を啜ることぐらいしか出来ないのさ! 妲己になりたいんだよ! お前たちにこの気持ちなんかわからないだろう!」
ダキの悲痛な叫びに、ヒトは心を揺さぶられ、糸を戻りダキの所まで歩いた。
そんな想いを抱えているなんて。
大丈夫、あなたは強い。
そんなに思いつめないで。
もっと前を見て。
歩き出しましょう。
ヒトの熱い想いをぶつけられたダキは、少しはにかんで、
「なんちゃって」
と言ってヒトにかぶりついた。
結局ヒトは、ダキに生き血を吸われる。