幸菴狐(こうあんぎつね)
幸菴狐
年老いた狐や狸が人に化ける時というのは、どういうわけだかやっぱり年老いた人に化ける場合が多い。
若者に化けるのはちょっと気が引けるのか、それとも歳的に老いた人ぐらいが落ち着くのか。
幸菴狐は群馬県に伝わる老いた狐である。例の如く白髪の老人に化けて人間と共生し、仏法を説いては未来を予言したり人を諭したりして暮らしていたという。
しかしある日、幸菴狐爺が風呂に入る時、見誤って沸かし過ぎていたようで物凄く熱かった。そのせいでうっかり変化の一部が解けてしまい、それを人に見られてしまった。
幸菴狐は老いた狐の姿で鳴きながら逃げて行ったのだという。
長年人の姿で暮らしてきて、風呂が熱すぎて全てがおじゃんになるのだから本当に悲しい話である。
しかし僕はその逆の方が悲しいことをよく知っている。風呂の話。
疲れて冷えた身体を温めるべく、沸かしてしばらくたった風呂の「コポコポ」いう音を聞き、よし今こそ入り時、と全裸になり、意気揚々と足をつっこんだらまだ全然冷たい。
無理して入るには寒すぎるし、服を着るのは面倒。
ならば待とう――と全裸で自分の体を抱きながらじわじわ暖かくなっていく風呂をブルブル震えながら立って待つ。
あれほど悲しくツライ時間というのはそう無いと思う。
幸菴狐にしろ他の民話にしろ、風呂は熱過ぎるのが一つのパターンである。その逆が無いのは、熱すぎるよりも遥かに残酷だからだと僕は思う。