これも全て絵馬の精(えまのせい)
もうすぐ今年も終わる。恐ろしい事なのでもう一度言うが、「もうすぐ今年も終わる」。
ほんの数日前に初詣に行ったような気もするのだが、どういうことかいつの間にか11月になっていた。
これを怪異と言わずになんと言おう?
これも全て、妖怪のせいか。そう、妖怪、お前だよ、お前。お前のせいだ。おまえのせいだ! おえまのせいだ! 御絵馬の精だ!
絵馬の精(えまのせい)
神社などに初詣に行き、おみくじを引いたり、絵馬に願い事を書いて吊るしてくるという風習は周知の通りだと思う。
実はこの風習が一般的になったのは比較的近代で、学業の神としても祀られる菅原道真の力にあやかろうと、学生達が受験合格祈願などを書くようになったのが世に絵馬が浸透するきっかけになった。(故に↑画像は天満宮)
ただ絵馬を奉納する習慣は古くからあり、起源は奈良時代にまで遡る。
神聖な儀式などの際に馬を奉納する習慣があったのだが、よほど余裕のある者以外は本物の馬なんて奉納できない。そこで代わりに生まれたのが絵に描いた馬である「絵馬」。
以降、絵馬には馬にとどまらず様々な動物が描かれ、人気絵師達も多く絵馬を描いた。
そんな古い歴史とバリエーションを持つ絵馬に、妖怪譚が無いわけがない。
いくつかある絵馬の怪異の話の中から、ここでは「絵馬の中であっても女性は嫉妬深い」というメッセージの込められた面白い話を紹介する。
『伽婢子』(おとぎばうこ)に書かれている「絵馬之妬」という話である。
――奈良と京都を往復して商売をする商人がいた。
九月の末、秋は日が暮れるのも早く、京へ着くにはまだかかりそうな位置で辺りが暗くなってきてしまった。
山端には狐火が見え、草むらからは狼の鳴き声が聞こえる。
「あぁこりゃやばい」
と思った商人は、仕方なく近くにあった御香宮(現京都市伏見区御香宮神社)で野宿することにした。
絵馬を奉納してある小さな屋根だけの場所を寝る場所に決め、商人は眠りにつこうとした。
ふいに人の気配がして、商人が起き上がると、目の前に青い直衣(のうし)と烏帽子を着けた男が立っており、商人に話しかけてきた。
「今、やんごとなき身分のお方がこの辺りで遊んでいて、今晩はここで寝ることに決まったんです。申し訳ないのですがちょっとだけ端の方にずれて寝てくれませんか?」
商人は驚いたが、しぶしぶと場所を譲って端に移動した。
しばらくすると、男の言っていた「やんごとなき身分のお方」がやってきた。
それは煌びやかな着物を着た美しい女性で、女の召使いも一人付いていた。
その女性は錦の褥(しとね)を敷き、燈火を灯し、更に酒といくつかの肴まで準備し始めた。
「マジかよなんだこれ……」
と商人が驚いていると、突然女性が商人に気付き、優しく微笑んで
「旅のお方ですか? こんな場所で独り眠るなんてさぞかし侘しいことでしょう。どうでしょう、一緒に召し上がりませんか?」
その女性がすこぶる美人であったこともあり、商人は快諾して一緒に酒と肴を楽しませてもらうことにした。
酒も美味い、つまみも美味い、目の前には美しい女性、それに可愛らしい召使いの少女までいる。商人は幸せだった。
更に女性と召使いは琴を取り出し、演奏し始めた。その演奏の美しさに心奪われ、酒も回ってきた商人は歌を歌った。
楽しい。楽し過ぎる!
ついつい調子に乗った商人は、召使いの少女の手を取り、握った。
すると少女も嬉しそうに微笑んで、商人の手を握り返した。
それが女性の逆鱗に触れた。
女性は露骨に嫉妬の色を出すと、
あやにくに 然のみなふきそ 松の風 わが締め結いし 菊の籬を
と詠み、肴を乗せていた台をひっくり返し、さらにそれを召使いの顔面にぶん投げた。
召使いの少女の顔からは血が流れ、着ていた着物も血で染まった。
商人は驚いて立ち上がった――と、そこで夢が覚めた。
商人は朝日の射し込む周辺を見渡すと、一つの絵馬が目に止まった。
そこには、青い直衣と烏帽子の男、琴を弾く美しい女性、さらにそれに仕えているのであろう少女が描かれた絵馬があった。
そして、その絵馬の少女の顔には幾つかの傷と血が付いていた。
なるほど、この絵馬のせいだったのか……と商人は思い、更に「絵馬の中でも嫉妬深い女というのは恐ろしいものよ」と思ったのだという。
――人の強い願いが込められている絵馬であるから、どんな怪異が起こっても不思議ではないだろう。
人物の描かれている絵馬の傍で眠る時は、絵馬之妬のような修羅場にならぬよう気を付けなければいけない。