妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

嵐になると聞いたので『月百姿』より「大物海上月」

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 『月百姿』より「大物海上月」

 

月岡芳年の『月百姿』シリーズで月物落としのコーナー。

この記事を書いている時点で、台風が直撃とのニュースを聞いたので、今宵は荒れ狂う海を行く源義経一行の、特に武蔵坊弁慶に視点を置いた演目『船弁慶』を描いたこの「大物海上月」で妖怪ではないが酷く恐ろしい台風様の月物を落とそうと思う。

 

武蔵坊弁慶と言えば、牛若丸(義経)との逸話がとにかく有名だろう。

悪僧として名高く、京の五条大橋にて千本の刀を奪い取ろうと言う悲願を立てるのだが、999本集めたところで牛若丸と出会い、返り討ちにされ、それ以降牛若丸の家来となった。

(尚、史実では弁慶の名は確認できるものの、詳細はほとんど解っていない。義経に関わった様々な僧の所業などが集約して今日の弁慶像が形成されている、というのが専らの説である)

 

芳年の描いた『船弁慶』のシーンに至るにはその後かなりの色々な事があった。

 

まず義経は兄である頼朝に従い、平氏討伐で大活躍。

平氏を滅ぼしたところまでは良かったのだが、その後頼朝的に気に食わない行動がいくつか露呈し、最終的には「朝敵」とされて殺されそうになってしまう。

なんとか逃げ延びた義経一行は九州にまで行こうと考え、船団を形成して海上を行くが、そこで大しけに遭い難破。結局九州行きは断念せざるをえなくなる。

――で、その海上に出た時の嵐を描いたのがこの絵である。

 

丁度船が進んでいたのは大物浦(だいもつのうら)で、画題の「大物海上月」も「大物浦海上の月」という意味である。

そして舟弁慶では嵐はイコール平家の怨念となっており、弁慶は果敢にも念仏を唱えたりして応戦する。

因みにこの妖怪図鑑でもかつて紹介した、同じく月岡芳年の「大物之浦ニ霊平知盛海上に出現之図」は、まさにこの時現れた平家の怨念を描いたもの。

つまり弁慶達はこの平知盛の霊と格闘したことになる。

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『新形三十六怪撰』より「大物之浦ニ霊平知盛海上に出現之図」

 

こんなの海に出てきたら普通はチビる。

義経も弁慶も、その時に全くビビル様子は無かったと言うのだから凄い。

そして船弁慶では知盛を撃退し、無事に義経一行が下船して幕となる。

(史実は上で述べたように難破して撤退)

 

 

――さて芳年の絵だが、荒れ狂う大波を前に凛と立つ弁慶は勇ましく、また黒を基調に描かれた波は不気味さと凄みを感じさせる。

そして中央に覗く満月。

構図の凄さもさることながら、この絵は色使いが特に神がかっていると思う。

 

 

訪れる嵐にも、普通に堂々としていればなんてことはないのかも知れない。

――ってわけにもいかない状況の方が多いわけだけど。