妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図

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『新形三十六怪撰』より「蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図」
 
この絵は、大阪府妙国寺に現在もある「大蘇鉄」(だいそてつ。蘇鉄とは、ヤシのような見た目の木)に纏わるエピソードを描いたもの。
 
戦国時代、時の権力者であった織田信長は、有名であった妙国寺の「大蘇鉄」を安土城へと移植させた。しかし夜な夜な移植した大蘇鉄が「妙国寺に帰りたい」と呻き声をあげるようになる。
「蘭丸、見て参れ」
と命じられ、かの森蘭丸が大蘇鉄を調べに来たのがこの絵である。
信長はさらに、配下に大蘇鉄を切りつけるよう指示したが、切りつけた場所からは勢いよく鮮血が飛び出し、さらに呻き苦しんだのだと言う。
流石の信長もそれを見て怖くなり、
「ややややややっぱり妙国寺に返しちゃおうか、うん、そうしよう、うん」
と言って妙国寺に大蘇鉄を返還したそうな。
因みに芳年は『和漢百物語』において、蘭丸だけでなく信長も蘇鉄に怯えるという珍しい絵を描いている。

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『和漢百物語』より「小田春永」
この小田春永というのは信長のこと。
 
また、それと関係あるかないかは解らないが、幕末に起きた凄惨なる切腹で有名な「堺事件」にて、土佐藩士達が切腹したのもこの妙国寺である。
堺事件というのは、フランス人兵士が女子供をからかっているのを見た警備隊の土佐藩士が、ついうっかりフランス人兵士を沢山殺しちゃった事件である。その処罰として、多数の立会人の前で切腹をすることになった土佐藩士の数十人だったが、切り開いた腹から内臓を掴みだしフランス人達に投げつけるなど、凄惨な場となり、物凄いジャパニーズ切腹を目の当たりにしたフランス人達は思わず切腹を中止させたのだという。
そりゃフランス人じゃなくたって恐いっすよ。。。