藤原秀郷龍宮城蜈蚣射るの図
『新形三十六怪撰』より「藤原秀郷龍宮城蜈蚣射るの図」
藤原秀郷(ふじわらのひでさと)は平安時代の武将であり、弓の名手だった。
秀郷は後年になって「俵藤太(たわらのとうた)」と呼ばれるようになり、物語としても語り継がれるようになる。
その物語の一つが、この芳年の描いた「大蜈蚣退治」である。
因みに蜈蚣はムカデ。百足でもいいけど今は蜈蚣。
絵のタイトルを頑張って読んでみると、何やら「龍宮」という字が見える。龍宮??
ではその大蜈蚣退治の流れをば少し――
ある日、滋賀県の琵琶湖を望む瀬田の唐橋(当時琵琶湖を渡るには、琵琶湖から流れる唯一の川、瀬田川にかかる瀬田の唐橋を通るしかなかった)に、大蛇が寝そべっていた。
しかし弓の名手で怖いものなしの俵藤太は、無視して踏んづけて渡った。
すると大蛇はみるみる美女に姿を変え、
「そこのお方! 私の化けた大蛇にも臆さないとは余程の御仁。実は私龍の使いでして、最近大蜈蚣が龍宮へ現れて暴れるのです。どうか退治していただけないでしょうか?」
「いいけど、なんで龍が蜈蚣にビビルの? 自分でやった方が早いんじゃない」
「いやいや、その大蜈蚣は三上山を七巻もするほど大きいのです」
「そりゃヤバイ。解った退治してあげる」
そうして藤太は龍宮城へと案内され、時の経つのも忘れるほどに素敵なひとときを過ごしていたが――大蜈蚣がやってきたので、なんとか射殺した。
そうして藤太は沢山の褒美を貰い、地上に戻ったとさ、めでたしめでたし。
尚、この俵藤太こと藤原秀郷さんは、平将門の乱で将門にトドメを刺したかも知れない人物であり、物語でもしっかりと「龍宮の龍神の加護を受けて将門を討ったのだ!」みたくなっているのもある。
因みに、大蜈蚣戦において藤太は三本の矢を放ち、二本はしくじっている。最後の三本目はどうやって当てたかというと、矢に唾をたっぷり吐きかけたのである。なんと魔物は人間の唾が大嫌いらしい。その唾付き矢で見事蜈蚣を射殺したのである。
まさか人に唾を吐きかけるという行為はこれが元になってたり……しないよね。