清盛福原に数百の人頭を見るの図
『新形三十六怪撰』より「清盛福原に数百の人頭を見るの図」
この絵は平清盛が福原にて出会ったと『平家物語』に書かれている髑髏を描いたもの。
石燕が「目競(めくらべ)」と題して描いたものと同じ。
しかし芳年は妖怪としてではなく、錯覚として描いていることにご注目。
心の休まる時の無かった清盛はノイローゼ気味になることもよくあったようで、そんな心理状況から、錯覚で怪異を度々見てしまったのかも知れない――という芳年なりの解釈がよく解る。
実は芳年が同じエピソードを描いたものはもう一つある↓
平相国清盛入道浄海
この絵では雪を髑髏と見間違う清盛が描かれており、やはり錯覚であるという描き方。
ただ、これは単に「清盛が錯覚を見やすかった」と捉えるだけではなく、芳年自身も神経衰弱を患っており、様々な幻覚を見ることがあったと云われていることから、芳年としては実体験も踏まえた「きっとこうだったんだよ」というメッセージが隠れている気もする。