道成寺鐘(どうじょうじのかね)
道成寺鐘は、道成寺に伝わる「清姫伝説」を元に石燕が描いた妖怪である。
清姫伝説をざっくり適当に短く言ってしまえば、
「嘘と女の執念は怖いね」という話である(たぶん)。
まとめて書くとーー
真砂の庄司という偉い人に、清姫という娘がいた。
ある日、白河から熊野まで参拝に来ていた美形イケメンの安珍という僧が、清姫に宿で出会った。
すると清姫は安珍のあまりのイケメンっぷりに一目惚れし、夜這いまで仕掛けて迫った。しかし安珍は「参拝中の身だから今は困る。参拝期間終わったらにしてくれ」と断った(名前が安い珍のくせに頑なである)。
しかし安珍は約束を破り、参拝が終わるとすたこらと帰省してしまった。
それを知った清姫は怒り、安珍を追いかける。
清姫は安珍に追いつくのだが、安珍は「ボク安珍ジャナイデース」などと他人の振りをしたり、清姫に必殺金縛りをかけたりしてさらに逃げる。
これでブチ切れた清姫は、なんと恐ろしい大蛇へとトランスフォームし、さらに安珍を追う。
そして安珍が逃げ込んだは道成寺。
もう逃げられんと見たか、安珍は寺の住持に頼み、鐘の中に身を隠した。
ここなら平気と思ったのだろうが、キレた清姫はその鐘に蛇の体を巻きつけ、火を吹いて鐘を熱し、なんとそのまま安珍を焼き殺してしまった。
そして清姫自身も、入水して死んだという。
なお、石燕の解説文には「ーーこの鐘とけて湯となるといふ」とあり、清姫ファイアーが鐘を楽々溶かす程の超高熱だったことが伺える。
そして石燕が描いたのは、まさにその清姫ファイアー中のクライマックスシーンである。
また石燕の解説文から、妙満寺に移された事がわかる。これは清姫が焼いた鐘はその後も祟りを起こし、戦国時代に仙石秀久が供養の為に法華経総本山の妙満寺に移した為である。
因みに、清姫伝説は最終的に法華経の功徳によって安珍、清姫共に成仏することになっており、宗教的教訓を多分に含んだ伝説であることが解る。
なんにしろーー嘘と女の執念には気を付けろ、ということは素人にも解ったのでみなさん肝に命じておきませう。
追記
月岡芳年は、安珍を追う途中、日高川にて蛇の体へと変わろうとしている清姫を『新形三十六怪撰』にて描いている↓
『新形三十六怪撰』より「清姫日高川に蛇躰と成るの図」
しかし見ての通り、実際に蛇の体になったわけではなく、濡れた身体と着物の柄のせいであたかも蛇のように見える――という、錯覚だよ、というメッセージを絵に込めているのが面白い。