男がダメ、とやかましかったので『月百姿』より「かしかまし 野もせにすたく虫の音よ 我たになかく ものをこそおもへ」
『月百姿』より「かしかまし 野もせにすたく虫の音よ 我たになかく ものをこそおもへ」
職場にて、主婦三人が、僕の前で激論を交わしていた。テーマは「イマドキの男」である。
女の子は何かと良いらしい。しかし男はダメなのだそうだ。
覇気がない、無難に済ますことしか考えていない、気が利かない、などなど。
明らかにその場には僕も参戦している風な恰好だったので、少なくとも僕に対してはそう思っていないと願うばかりであるが、とにかく新人の男の子だの高校生の男の子だの、更には小学生の男の子にまでその矛先は向けられていた。
随分と盛り上がっていたが、僕は早く帰りたかったし、仮令本当に世の中のイマドキの男がダメなのだとしても、僕がどうこうできるわけでもないので、頭の中では違うことを考えて聞いていた。
元カノが就職したらしい。キャンドルを作ったり売ったりしているのだそうだ。わたしも社会人んん~、と随分嬉しそうに語っていた――とかなんとか考えていた。
というわけで、今宵の月もの落とし、『月百姿』の一枚は、「かしかまし 野もせにすたく虫の音よ 我たになかく ものをこそおもへ」である。
歌詠みとしても名高い、平安時代、平家一門の一人である薩摩守忠度(さつまのかみただのり)。
彼が秋の月の美しい晩に、女性の屋敷へと忍んで行った際に詠んだのが「かしかまし 野もせにすたく虫の音よ 我たになかく ものをこそおもへ」だ。
意味は、
野にいる虫たちは随分うるさく鳴いているが、私は静かにあなたの事を想っていますよ
という意味。
現代でやったら通報されかねない絵ではあるが、昔だから風情もあるというもの。
どれだけやかましく虫が鳴こうとも、私の心はあなたへ向いている。
静かに、ただ静かに想っている――。
よいではないか。僕も案外小心者なのでなんだか共感できる。
しかし現代の、今日僕が目の当たりにした議論をしていた主婦達はきっとこう言うのだろう。
「だから男はダメなんだ」と。
……よ、よいではないか!