妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

普段気付かぬ美しい風景を惜しんで『月百姿』より「おもひきや 雲ゐの秋のそらならて 竹あむ窓の月を見んとは 秀次」

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 『月百姿』より「おもひきや 雲ゐの秋のそらならて 竹あむ窓の月を見んとは 秀次」

 

なんとも皮肉であるが、屋外に満ち満ちている季節を感じさせるような美しい風景、風の匂い、雰囲気というのは、特殊な状況であればあるほどにその素晴らしさを強く感じることが出来る。

簡単に例えれば、普段意識もしないのに、仕事中にふらっとドアを開けて見た外の景色がやけに美しく、また素晴らしいものに感じる――ように。

 

深まる秋、そして冬に向けてどんどん寒くなる日々に想いを馳せ、肩にしがみついてくる妖怪達を振り払いながら今宵紹介するのは『月百姿』の「おもひきや 雲ゐの秋のそらならて 竹あむ窓の月を見んとは 秀次」。

 

豊臣秀次が詠んだ句である。

秀次は壮絶な一生を歩んでおり、養子にまでなっていた豊臣秀吉に最後の最後で「謀叛の疑いあり」とされて高野山で切腹を命じられてしまった。

その原因は秀吉に実の子である秀頼が生まれたことをきっかけとし、更に秀吉の知らぬところで継室(後妻のこと)を貰ったことが秀吉の嫉妬心に火をつけて怨まれたらしい。

その結果謀叛の疑いをかけられ、弁解しようと秀吉の元を訪れるが会う事すらできずに追い返され、最後には秀吉の「切腹せよ」という命に従い自害した。

 

なんと可哀相な秀次。秀次に全く非が無かったわけではないのだろうが、それでもなんだか哀れである。

恐らくは自害を命ぜられた後、自害をする場所で詠んだとされるのが画題になっている「おもひきや 雲ゐの秋のそらならて 竹あむ窓の月を見んとは」である。

意味は――

「雲もかからぬ秋の美しい月を竹の格子窓から見ることになろうとは……」

という程の意味である。

 

死を直後に控えた武将の句だけに、悲壮感、普段何気なく見ていた月への羨望など、様々な感情が複雑にこもっている。

秀次が竹格子から見た月は最高に美しく、また同時に最高に悲しいものであったのだろう。

 

どんな風景も見る者の心次第で様々な見え方になる。

であるのだから、本当に美しい風景というのは人によって全く違ってしまうのではないだろうか。普段目にするありふれた風景も、誰かにとっては最も美しい風景なのかも知れない――とか考えるとやっぱり人って不思議だな、なんて素朴に思ったりする。