妖しく厭な風が吹いているので『月百姿』より「忍丘月 玉渕斎」
『月百姿』より「忍丘月 玉渕斎」
今日の夕方、東京都三鷹市で女子校生の女の子が刺される事件が起きた事はニュースを見ていた人は知っていると思う。
何を隠そう、その事件現場が、僕の職場から物凄く近かったのだ。
そのような狂気に満ちた事件を過去にニュースで知ることは多々あった。しかし、その現場が非常に近く、更に「犯人逃走中」である経験などそうあるものではないと思う。
外に出て上を見上げればヘリコプターが何機も飛んでいたし、道路には何台もの覆面パトカーが行ったり来たりしていた。
現場から近かったことと、ニュースで大々的に報道していたことなども合わさって、当然僕の勤めるお店は閑散としていて、妙に生暖かい風だけが外には吹いていた。
なんというか……その感じは、今までに味わった事の無い「厭な感じ」だった。
うまく例えられないが、ホラー映画の恐怖の生々しいバージョン、みたいな。
今は犯人も捕まったようだが、女の子は死亡。近くでそれを感じたからこそ胸を締め付ける「厭な悲しみ」。
ふと考えたのが、結局のところそれが身近なところで起きなければ、一つの痛ましいニュースで終わってしまったのかも知れないということ。
何が言いたいのか解らないが、なんとなぁく人の冷酷さ(つか自分の)を感じたのである。
と、やっぱり真に恐いのは「人」だな、とも思った。
今宵紹介する芳年の「忍丘月 玉渕斎」は、玉渕斎という名の侍が月見でもしようと上野の忍丘(多分上野公園一帯を指す旧名の忍岡のこと)に行った際、一陣の妖しい風に吹かれて身構えている様子である。
今日この絵を選んだのは、「妖しい風」の正体を知ったからに他ならない。
それは間違いなく、「自分の心の暗さ」が生む感覚であると思った。
厭な感じの事件が胸を締め付け、なんとも鬱々とした気持ちで帰路に着いた際に吹いていた風は全て、「妖しい風」だった。
――さて、なんだか記事まで鬱々としてしまったので、最後に少し面白い事を。
この桜吹雪の絵↑をよく見て欲しい。
前に浮世絵の出来るまでという記事で書いたが、これも版画である。
つまり、彫り師が彫って摺師が摺っているのである。
着物の柄とか、めちゃくちゃ細かいのがお解りになるだろうか?
これを、彫り師が彫って摺師が摺っているのである。
何度でも言おう。
彫り師が彫って摺師が摺っているのである。
鬱々とした方向とは真逆の、尊敬と称賛に値する「狂気じみた輩」もいるものである。