妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

変換でも出るぜ! 役小角(えんのおづぬ)のぶっ飛んだ伝説

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北斎漫画より「役小角」
 
修験道(しゅげんどう)の祖と言われる役小角。実在した人物ではあるが、様々なぶっ飛んだ伝説が残っており、「前鬼」「後鬼」という鬼を従えていたと伝わっている。
北斎が描いたのはまさにその前鬼後鬼と一緒にいる役小角。
 スマホ(iPhone)でこの記事を書きだし、えんのおづぬ、でちゃんと変換された時は感動した。尚、妖怪単語辞書導入済みのマイPCでももちろん変換される。因みに覚えにくい名前として当図鑑でちょいちょいいじらせてもらっている立花道雪こと戸次鑑連はこの通りちゃんと出るのだが、産女や頼光四天王としても有名な卜部季武(うらべのすえたけ)だけは――卜部の末武、である。惜しい。
……でっていう。
 
さて、役小角にぶっ飛び伝説が多く残っているのは、修験道の祖であるということが大きな要因だろう。
修験道とは、日本古来の山岳信仰に、中国から密教が伝わった際に習合し、さらに独自の様々な要素を加えて生まれた道である。※修験者は、山伏という名でも呼ばれる。
密教というのは顕教(けんきょう)の反対語であり、簡単に言えばそのまんまの「仏教における秘密の教え」であり、顕教が経典や文字等で教えを説くのに対して密教の基本は、神秘的、超自然的な教義をお師匠さんが直接弟子たちに教えて授ける、という特徴がある。そんな間口の狭さ故に「秘密の仏教」なのかも知れない。(日本での超有名密教と言えば弘法大師・空海が開いた真言宗。それと伝教大師・最澄の開いた天台宗)
そんな密教の神秘的教えに加え、陰陽道などの要素も取り込み、オリジナル進化したのが修験道であり、それがまともなわけがない。
 
そんな役小角のすさまじい伝説を若い頃から順にいくつか紹介してみる(後半がすごい)。
 
・小角、3歳にして梵字等の難しい書を読む。
 
・小角、9歳にして修験者になることを決意。
 
・小角、孔雀明王の秘法を体得。この秘法はあらゆる災厄、病、穢れを祓うことの出来る最強の秘法!(これを得た時期は諸説あり。7歳だったり、習得まで30年かかったりと。詳細不明。伝説だもの)
 
・小角、15歳の時、長者の娘に惚れられる。しかし修行に忙しかったのでスルーし続けると、怒った娘は大蛇になってしまう。それを見た村人が驚いて味噌汁をぶっかけて逃げる(以降、奈良県野口神社ではその出来事が起きた5月5日に汁かけ祭りというのを行っている。マジ)
 
・小角、生駒山麓にて、大蛇と大蛇に遭遇(味噌汁娘とは無関係)。孔雀明王の秘法を唱え撃退! ……と思いきや大蛇は怯んだだけ。最後は根性の錫杖物理アタックで退治。直後白髪の老人が現れ、「ここは仏の住まう土地。もっとここで修行していくといい」と言われる。
 
・小角、生駒山にて前鬼、後鬼と出会う。2匹は人に害を成す荒神だったが、役小角の呪縛で自由を奪われ、最終的には弟子になる。
 
・小角、色々あって66歳。人々に「あいつは言葉や怪しい術で人を操っている!」との讒言から伊豆の大島へ流される。
 
・ずっと俺のターン! 小角、流されても修行を止めず、夜には富士山に登る生活。その甲斐あってかついに飛行術を会得。!!?
 
・小角、まだ罪を許されてない配流の身なのにインドにまで修行に。どうやって行ったかって? 飛行術に決まってンだろ!
 
・小角、一説には67歳で死去しているが、一説では99歳の時にインドに小角がいた、とも。
 
 
なんだかもうよくわかりませんが凄い人なのは伝わりました。
実在した、とは言われるものの、真相が解らないことだらけな役小角。
しかし飛べた説だけは……。
 
尚、役小角が亡くなってから、前鬼と後鬼はそれぞれ温泉宿などを営んだそうな。
鬼の方がよっぽど普通なのはなぜなのか。