『稲生物怪録(いのうもののけろく)』~平太郎が耐えた30日間の軌跡~
稲生物怪録とは?
江戸時代、広島県は三次市に存在した三次藩の藩士、稲生平太郎(いのうへいたろう)が体験したとされる30日間に及ぶ怪異との戦いを纏めた『稲生物怪録』。
読みは「いのうもののけろく」や「いのうぶっかいろく」で、この読み方一つでも現代に至るまで激しい議論がなされているようだが、「ぶっかいろくに決まってンだろ!」と専門家が言う反面、多くの絵巻所蔵者などが「もののけろく」で通してしまっているため正直もののけろくでいいんじゃないかと思う。
とにかく、ベタな「触らぬ神に祟りなし」な教訓を持つ稲生物怪録だが、それ以上に30日間毎日怪異が続いたことと、その怪異がユニークであること、最終的には妖怪の方が折れてしまうことなどから数多くの派生本が作られ、伝わっている。
この記事では、出来る限り30日間の怪異画像を集め、平太郎が戦った30日間を頑張って追いかけてみることにする。
尚、極力解り易くするため、適当に端折ったりはするのであしからず。
始まりは些細な好奇心から
主人公は16歳の稲生平太郎少年。弟である勝弥(たぶん四歳ぐらい)の面倒を見ながら、唯一の家来である権平と共に暮らしていた。
1749年5月末、近所に住む力持ちの権八という男が、平太郎の家を訪ねてこんなことを言ってきた。
「俺は今まで恐いことを経験したことが一度も無いんだ。どうだい平太郎、今夜比熊山に登って肝試しをしてみないか?」
「いいね、面白そうだ。でもどうせやるなら、百物語をした後、クジを引いてどちらか片方だけが一人で登ることにしないか?」
そうして二人は権八の家で百物語をした後、クジを引いた。すると当たったのは平太郎。
「んじゃ、平太郎が一人で登る、と。証拠にこの木の札を頂上に置いてきてくれ」
権八はそう言って木札を渡し、平太郎は丑三つ時に一人比熊山を登り始めた。
不気味ではあったものの、特に問題もなく頂上へ着く平太郎。
山頂には村人が祟りがあるといって恐れる古塚があり、平太郎はそこに木札を置いて下山した。
下山途中、突然誰かに名前を呼ばれた平太郎。ギョッとしたが、それは心配になって見に来てくれた権八だった。
「なんだよなんにも無さそうだな、ツマンネ」
「全くだ。百物語もわざわざやったのに」
そんな話をしながら、二人は家に帰った。それが全ての始まりになるとも知らずに……。
初日
何事もなく月日は流れた。しかし七月に入った途端、平太郎の周りで不気味なことが起き始める。
平太郎は一つ目の毛だらけの化け物に襲われ、引きずり出されそうになる。しかし平太郎の勇ましさは並では無い。
一方、共に百物語をした権八宅にも妖怪が。
小さい一つ目小僧が現れ、権八は金縛り攻撃に逢う。
地味だが、イヤだ。
2日目
こりゃいかんぜよ、と翌日平太郎と権八は話し合い。しかし権八も平太郎も良い意味でオカシイので、「物の怪なんて逆に退治してやろうぜwww」と決めた。
その時! 行灯の火が天井まで燃え上がった。
そのぐらいでは気にも止めない二人。権八も家に帰り、平太郎が寝転がっていると、今度はなんだか生臭いような臭いがしてきて、目を開けるとそこには大量の水が床から湧き上がってきていた。
しかし無敵の平太郎はこれもスルー。無視して寝ていると水はいつの間にか消えてなくなっていた。
3日目
3日目は天井からの攻撃の多い日だった。
生首女が舌をチロチロさせながら落ちてきたり――
瓢箪が無数に降ってきたり――
しかしやっぱり余裕の平太郎少年は完全スルーを決め込んだ。
段々尊敬の念が沸いてきた。
4日目
紙が舞う? 平太郎さんにそんな攻撃が効くとでも?
5日目
大石に目が生えて足が生えたところで、平太郎さんに敵うわけがない。
「たたっ殺す!」
「まぁまぁ落ち着きなさいよぅ」
6日目
巨大な老婆の大首が現れる。普通なら絶叫モノだが、平太郎さんは老婆の眉間に刀をプスっと刺して撤退。
老婆「うばぁぁぁ!」
平太郎さん「……は?」
7日目
稲生家の怪異は村中に知れ渡っていた。そしてついに妖怪退治に役所から助っ人が派遣される。
権八も槍を手に取り、その日現れた大入道と格闘するも、槍を取られてしまった。
8日目
平太郎の叔父達が噂を聞きつけ平太郎家へ。
しかし流石平太郎の親類。平気で物の怪を罵倒するような事を言いまくった挙句、笑って盛り上がる。物の怪側は塩俵からの塩攻撃や鬼太郎顔負けの下駄アタックで抵抗するも、効果無し。
なんだか今度は物の怪側を応援したくなってきた。
9日目
物の怪側の奇策。平太郎の知人に化けてやってきて、石臼を叩き斬り、「ごめんこれじゃあ兄ちゃんに申し訳つかないや」と切腹。さらに幽霊になって平太郎に愚痴を言いに来る。しかし夜が明けると切腹した亡骸も幽霊も消滅。
平太郎さん「何がしたかったわけ?」
10日目
またまた来客。そして客の頭が割れて、そこから赤子がわらわら出てくる。
しまいには赤子がキングスライム的合体をして平太郎に襲い掛かる。
11日目
なんと女性が平太郎を見舞いに来る。
しかし暴れ狂ったタライが女性を追い返してしまう。
……絵を見るだけだとまるで平太郎が追い返してるようにも見えるのだが。
12日目
押入れから巨大ヒキガエル登場。しかし平太郎さんは眠いのだ。
13日目
薬師如来の掛け軸で、この災難を防ごう! と村人達と話し合った結果、寺に向かう平太郎と村人達。しかしまさかのメテオを喰らう。
14日目
またも巨大婆ちゃん登場。今度はもっと積極的よ!
15日目
部屋中がねばねばになるというこれまた地味でイヤな怪異発動。
しかし平太郎さんは眠いのだ。
16日目
無数の生首出現。これは恐いだろ……と思いきや余裕の平太郎さん。
17日目
鬼さん、妖しい漬け物樽運搬中。
友人に「食ってみてよ」と勧める平太郎さん。が、もちろん全員拒否。
18日目
畳などの家具が天井に張り付けに。
嫌がらせもエスカレート。
19日目
罠をしかけてみる平太郎さん。しかし賢い物の怪勢に見破られ、捨てられる。
20日目
美女が菓子折りを持って見舞いに。しかしやっぱり美女は物の怪で、菓子の入った箱も隣人の物だった。ただの泥棒じゃん。
21日目
たまには読書だってしたい平太郎さん。しかし不気味な影に邪魔される。
22日目
箒が勝手に掃除してくれる。え……助かるんだけど。
23日目
天井が蜂の巣に。いとおかし。
24日目
息苦しいほどのチョウチョの大群が部屋を舞う。
25日目
縁側に出たら変なの踏んじゃった平太郎さん。
26日目
生首再来。
27日目
拍子木が聞こえるよ。
28日目
虚無僧さんいらっしゃい。夜も一緒に寝ませう。
29日目
様々な場所から火の粉のようなものが舞い込んでくる。
そして迎えた30日目
「怪しいヤツ! 貴様は誰か!!」
30日目、突然平太郎の前に男が現れる。
男は自分の名を「魔物の頭領、山本五郎左衛門(さんもとごろうざえもん)」と名乗った。
五郎左衛門によると、今まで数々の少年を脅かしてきたのだが、ここまで度胸のある者は始めてだと言う。
少年を脅かして回っている理由としては、真の魔物の頭領を決めるべく、神野悪五郎という魔物と脅かした少年の数を競っていたのだという。
※↑画像右側に薄ら見えているのが悪五郎
しかし平太郎には負けた、と五郎左衛門は言い、「いつでも助けになるから、この小槌を持っていてくれ」と平太郎に小槌をプレゼントした。
そして妖怪達を引き連れ、魔界へと去って行ってしまった。
――と、随分長かったがこのような物語である。
記事をここまで書いてきた感想としては、怪異譚というか、平太郎凄すぎだろ、という感想が一番ある。
因みに、この物語の興味深い所は、「実話として」伝わっているところである。この稲生平太郎という人物も実在していて、最後に譲り受けた木槌も広島県の国前寺に実際に保管されている。
どうのように言い伝わってこんな凄まじい物語になったのかは解らないが、「実話である」という言葉の破壊力は大きい。
広く民間に広まったのは江戸時代後期のことらしく、様々な妖怪画から着想を得て脚色されたのだとは思うが、それでもここまでぶっ飛んだ物語に仕上げた人物は凄いと思う。
ともあれ、僕も稲生平太郎のように逞しく生きたいと思った。無理だけど。