飯綱(いづな)
飯綱
飯綱と聞いてお稲荷さんまで連想できたあなたはもう立派で孤独な妖怪好き!
さてイイズナの可愛らしい容姿から、悪いイメージが憑きにくい飯綱。主に東日本に伝わる「飯綱使い」とか「オコジョ」とか「管狐」なんかの事で、立派な邪法である。
狐と稲荷が関わる妖怪・憑き物というのは殊更複雑になりやすくこの飯綱もまた同様。
そもそも「飯綱」が何を指すかがはっきりとはしておらず、時に憑き物、時に使役霊、時に実際の動物だったりと様々である。
しかし根底にあるのは修験道の霊山、飯綱山(長野県)にあることは間違いないようで、故に東日本にのみ伝わっているとも考えられる。
御存知修験道とは山岳信仰に密教を掛け合わせて役小角さんが禍々しい力で生み出した宗派であり、やっぱりなんだか禍々しいイメージが強い。
修験道の役小角と言えば、前鬼・後鬼という二匹の鬼を使役していた。
また、陰陽師などは有名だが式神を使役する。
しかし鬼を使役できるのは相当な人物でないと難しかったようで、民間呪術師達の間では小さな動物を竹筒や袖に入れて持ち運び(管狐、などの語源はここにあると思われ)、使役することでその代わりとした。
一体その動物を使って何をしたのか?
ということに関しては、手品師のように扱い小銭を稼ぐような者もいたり、純粋に呪術や占いに使った者もいたのだとか。
なぜ飯綱が呪術に関係するのか?
という部分に関しては、飯縄権現を紐解くとよくわかる。
インドの神であったダキニ天は、後に日本にもやってきて稲荷神などと習合し飯縄権現となり様々なご利益を授ける神となるのだが、そもそもダキニ天は邪法を使う結構怖くてヤバイ神様。
京極夏彦の『狂骨の夢』で、真言密教立川流という名前が出てくるのだが、これなんかも髑髏を祀り、性行為によって即身成仏を体現する――というなかなかコワイ宗派。これは、ダキニ天を本尊としその呪力を信仰していたようである。ダキニヤバイのだ。
また、管狐や飯綱は飼っているうちにどんどんと数が増え、75匹にまで増えるという。増えた飯綱などは弟子たちに分け与えたり川に流したりするらしいが、邪法を使う為の動物である為かかなり慎重に処理する必要があったのだとか。
因みに、憑き物系妖怪などを調べていると、たまにこの「75」という数に行きあたることがある。
修験道のメイン修行のひとつである大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)という、熊野と吉野を縦走するものがあるのだが、これの靡(なびき)の数が75なので、多分修験道が深く関係しているモノなのだろうと解るわけである。
妖怪を使う――というのは呪術者にとって一つの夢だったのだろう。
その証拠に飯綱などの使役する小動物は一時大流行したのだとか。
いつの時代でも人はカワイイペットを飼いたいものなのだ。ソイツが呪力まで持ってたのならより愛情も深まっちゃうだろうな――なんてふと思った。