月岡芳年『和漢百物語』瀬田之竜女 田原藤太秀郷
『和漢百物語』より「瀬田之竜女 田原藤太秀郷」
弓を構えるは平将門を打ち取った男としても有名な田原藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)。
俵藤太という通り名の方が有名かも知れない。
その名前の由来もまた、芳年が↑で描いた逸話と関係がある。
ここではざっと、俵藤太の名前の由来メインで書くので、詳しい物語は後年の芳年が描いた『新形三十六怪撰』バージョンに書いてあるので参照して欲しい。
――ある日、田原藤太は琵琶湖の瀬田の唐橋にて、大蛇に化けている美女に出会った。
大蛇に怯むことなくスルーして通ろうとすると、大蛇は美女の姿に戻り、「なんと度胸のあるお方! ちょっと龍宮へ来て化け物退治を手伝ってはくれませんか?」と頼まれた。因みにその美女が瀬田之竜女である。
そして龍宮へ連れて行かれた藤太は、龍宮を困らせていた大蜈蚣(おおむかで)の事を聞き、退治してあげることに。
弓の腕前は神業級、と『和漢百物語』解説文にも書かれているように、弓に関してはずば抜けたスキルを持っていた藤太は、余裕で大蜈蚣を退治。
そして龍宮で褒美として沢山の太刀やら絹やら俵だのを貰って帰った。
しかしそれらの褒美、竜神パワーのお蔭で使っても使っても減る様子が無い。
それを人々は「尽きぬ俵(田原)の藤太」と呼ぶようになったんだそうな。
因みに、田原藤太という名も通称に過ぎず、正式には藤原秀郷である。
田原、という名前がどこからでたものなのかは複数説あり、定まっていない。
逆に、俵藤太という名前が先に付けられ、後付けで「田原」という字が当てられたと考えるのも無い話ではないと思う。
そんなことより、芳年が描いた大蜈蚣が、どう頑張っても蜈蚣に見えないのは僕だけだろうか? なんかカワイイナマズ野郎な感じである。