油返し~パッオチャトボセングリ~
油返し(あぶらがえし)
兵庫県は昆陽(こや)に出たと云われる怪火の一つ、油返し。
中山寺の油を盗んだ者の魂が油返しになる――という叢原火などの怪火と似たような伝承があったかと思えば、オオカミが灯す火だとか狐の嫁入りの火だとか、諸説あってまとまらない。
特にこの油返しの情報で気になるのが、『民間伝承』の中の「妖怪名彙に寄す」に書かれている、油返しの説明文。
「パッパッパッパッとつくと、オチャオチャオチャオチャと話し聲がしトボトボトボトボとセングリセングリと後ろへかへらずにせいてとぼる」
……..日本語でお願いします。
この文は意味がよくわかっていないらしい。
強引に考えてみると、パッパッパッパッは火の灯っていく様だと仮定して、オチャオチャオチャオチャは文の通り話し声なんだろう。
その後が問題で、「トボトボトボトボとセングリセングリと」と、なぜか「と」が続く。なんだか違和感のある文である。
そこで色々調べると、火の勢いのない様を「とぼとぼ」と表すことがあるらしい。さらに、せんぐりは徳島辺りの方言で、「順々に」のような意味があるらしい。
というわけで強引な解釈で置き換えれば、
「パッパッパッパッと点き、オチャオチャオチャオチャとかいう話し声が聞こえ、順々に後ろに返らずしょぼい炎が慌ただしく灯る」
とかはどうだろう。うん、絶対違う。
他にこの油返し探究の切り口になりそうなのが、昆陽池と行基である。
昆陽池は、かの有名な高僧「行基」が農業用に作ったため池。
昆陽池周辺から出ていたわけだから、そのため池工事の際に命を落とした民衆が油返しとなった――とかはどうだろう。しかしこれだとちょっと由来がしょぼい。
いつも思うのだが、伝承には「いつ」というのが凄く大事だと思う。
その伝承は「いつ」の時代に語られていたものなのか?
この油返しで考えれば、もしこの伝承が奈良時代のものならば、行基とか、千僧供養とかが怪しい。
しかし戦国時代以降に出来た伝承であったならば、信長の戦火で昆陽辺りの寺はほとんど燃えちゃったりしている。となると火も関わって来るしそのへんが怪しい、となる。
伝承は人から人へと伝えられて今に至るわけで、その途中で大幅に変わっちゃったり全く別の意味を付け加えられたりするもの。難し面白い。
結局――資料が尽きればパッパッパッパッと希望の灯は消えて行きアチャチャアチャチャと思いながらトボトボトボトボ帰宅する羽目になってデングリデングリ返ってバイバイバイである。