安宅丸はどこへ行く
安宅丸(あたけまる)
幕府の威信を懸けて作られた安宅丸。安宅船と呼ばれる大型軍船の中でも当時最もデカかった巨大船が安宅丸である。
そしてこの安宅丸は、妖怪としの側面も持っていたらしい。
罪人やショボイ人間が乗ろうとすると、低い唸り声を上げて乗船を拒否する。
さらにある時は、「伊豆へ行こう、伊豆へ行こう」と大声をあげ、勝手に出航したりもしたらしい。
まぁ幕府が全力で作った船なのだし、どのような伝説があってもおかしくはないと思う。
ただ、この安宅丸、「誰が作ったのか」という情報が混乱している。
北条氏直が作ったという説、豊臣秀吉が作ったという説、秀忠が作ったという説、徳川家光が作ったという説。
かなり僕も混乱したが、じっくり調べるとどうやら本当にこの安宅丸を作ったのは向井忠勝という名の、徳川二代目秀忠に仕えた御召舟奉行の武将であるらしい。
つまり命を下したのは秀忠ということになる。
冒頭で使用した安宅丸絵図の、後部に翻る旗に「む」と書かれているのがおわかりいただけるだろうか?
これは向井のむである。
その他の説がどうしてまことしやかに囁かれているのかというと、当時全国で安宅船というジャンルの船が作られていた。特に秀吉なんかは朝鮮攻めの際にも大量の船を作ったりしたので、そのことが混乱を生む原因になったのではないかと思われる。
因みに北条氏説があるのは、安宅丸が伊豆で作られたからかと。北条氏もまた水軍で船をいっぱい作っていた事も絶対関係ある。
さてそんな安宅丸。
全長は40メートルほどあったというし、相当大きかったのだろう。
排水量は1500トン、艪の数は100挺!
え? 艪?
――そう、この安宅丸、男達が全力で「漕いで」進むのである。
100の艪を200人掛かりで動かして進ませたらしいが、あまりにもデカくて重すぎたせいか大して進まなかったらしい。
維持費はかかるし動きゃしないし、結局後に解体されてしまうことになるのだが、それでも妖怪伝説まで残して語り継がれているわけだから、動かなくとも語る価値のある船だったのだろう。
稀に、「デカけりゃいい」ってものもあるみたいだ。