妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

あなたは確か……寒戸の婆

寒戸の婆(さむとのばば)

妖怪辞典をパラパラと眺めていたら、ふと「寒戸の婆」という妖怪に目が留まった。

何だか聞いた事がある。なんだったっけ?

どこか遠くの……確か三十年ぐらい前に消えてしまって……あっ!

あなたは確か! あなたは……妖怪だったのですか!?

 

――と驚くのも無理はない。寒戸の婆は、『遠野物語』に出てくる神隠し系の話の一つである。

寒戸の婆は、ある日ふと梨の木の下に草履を脱ぎっぱなしにしたきり行方不明になり、三十年後、強風の吹く日にふらりと戻ってきたのだ。

名前に「婆」なんて付けられてしまっているが、『遠野物語』にも行方不明になった時には若い娘であったと書いてあるから、三十年経っても婆は失礼なんじゃなかろうか。

と思ったが、三十年経っただけ(だけって言うのも変だが)なのに老い過ぎていたこともこの話の恐いところなんだろう。

で。村に顔を出した寒戸の婆だったが、そのまますぐにどこかへと帰って行ってしまったのだという。

神隠しの被害に遭った女性がそのまま妖怪になっちゃってるっていうのもなんだか皮肉。『遠野物語』には神隠し、人攫いなどの話はいくつもあるので、きっと何らかのモノに山にでも攫われてしまい、そのまま暮らすことになってしまったのだろう。

 

ところで、この寒戸の婆は、元々は登戸(のぼと)の婆だったと言われている。

というのも遠野に寒戸なんて村は存在せず、『遠野物語』を柳田に語った佐々木が自ら書いた『東奥異聞』にはノボトの婆として書かれており、遠野でその伝承が伝わっているのは登戸という実在の村なのだそうだ。

『遠野物語』では上述の内容でおしまいだが、『東奥異聞』では強風の日ではなく大嵐の日になっていて、しかも毎年来るようになってしまったと書かれている。

更に容姿も「――その態姿はまったく山婆のようで、肌にはコケが生い指の爪は二、三寸に伸びておった」と、妖怪顔負けの書かれ方をしている。

最後には、「もう来ないでくれ」と巫女山伏に頼んで石塔を建ててもらい、「こっから内側に入っちゃだめだぞ!」と言って追い出したのだとか。可哀相過ぎる。

――のように、ノボトの婆の方がサムトの婆よりもちょっと不思議で怖い話になっているのだが、なぜあえて柳田國男がそれを変えたのかが凄く謎である。

 

しかし。より売れて有名になった『遠野物語』の寒戸の婆の方が定着してしまい今に至る。

有名になったもん勝ちなのは妖怪界でも同じようだが、最後までなんだかやりきれない感じの残る婆である。

 

因みに、神奈川県川崎市に登戸(のぼりと)という場所があり、学生だった頃によく電車で通っていたので覚えていて、「まさか登戸(のぼと)村と関係あるのでは?」と思って調べてみた。

すると、陸軍参謀本部直属の「陸軍登戸研究所」という施設があった事が判明した。

これは当時極めて秘密裏に稼働していた研究所らしく、非人道的な研究も沢山していた研究所なのだとか。

登戸村よりもいかがわしいし、すんごく面白そうなのでしばらく調べ続けてしまったが、まぁノボトの婆とは全く関係無さそうである。

寒戸の婆の正体は軍事兵器だった! ――なんて展開にでもなったらそれこそ婆さんが報われないだろうし。