達磨! 臨済! 坐禅! THE☆ZEN!~禅問答~
禅問答と言えば臨済宗
『月百姿』より「破窓月」
順序というのは大切であります。
仏教宗派特集やっておりますが、釈迦→伝来→天台→真言→律と来まして、書いてる自分ですらだんだんと小難しくなるだけの特集に嫌気が差してきちゃってますので、ここいらで禅宗でも一つぶちまして、問いかけてみたいと思うのです。
「僕に根性はあるのでしょうか?」
「ない」
「なぜないのでしょう?」
「自分に根性があることを知らないからだ」
さぁさぁみなさん座りましょう
では日本に伝わる禅宗の最初ですから、まずは禅宗の歴史を簡単に勉強しましょう。
ヨガと禅は似ている――なんて思っている方もいるとは思いますが、元は同じです。
インドの様々な宗教を吸収してきた仏教が、ヨガをも取り入れ、独自に発展させたものが禅となるわけです。
インドで育まれた禅を中国に持ち込んだのが、誰もが「ダルマさん」の名で知っている筈の菩提達磨(ぼだいだるま)です。
達磨は九年間壁と対面して座禅をし続け、悟りを得たと言われており、月岡芳年の↑の画像も、また鳥山石燕が『百器徒然袋』で描いた払子守↓という妖怪にも、達磨禅師の特徴が現れています。
そういえば石燕妖怪には木魚と達磨が一体化した木魚達磨なんて可愛い妖怪もいましたね。
ただダルマの原型が禅師・菩提達磨であることを知っている方はそんなに多くないかも知れません。
ダルマ人形がああいう形をしているのは、「常に座っている姿を保つ」ためであり、足が無いのも立っているのではなく「座っている」からなんですね。
達磨禅師が残した、禅の基本思想になっている「四聖句」というものがあります。
不立文字(ふりゅうもんじ)
悟りの境地というのは文字では表現できない。だから修行して体得するしかないのだ。
教外別伝(きょうげべつでん)
悟りっていうのは経典に書かれたことを伝えるだけじゃどうしても伝わらない。直接師から弟子へと教え継いでいかねばならないのだ。
直指人心(じきしにんしん)
まずは己が内側をしっかり見て、己の仏性を確認するのだ。それを把握することではじめて悟りへの道が開かれる。
見性成仏(けんしょうじょうぶつ)
己の仏性を自覚することができれば、誰でも悟りを開いた存在へとなれるのだ。
日本の禅
面白いのが(と書くと失礼にあたるかも知れませんが)、中国禅は後に衰退し、滅亡してしまうということです。
その途中で日本に伝えられて今日まで残っているわけですから、逆に言えば達磨さん発祥の禅は日本に来なければ完全になくなっていたとも言えるわけです。
さて。
日本に今現在残っている大きな禅宗は、三つです。
臨済宗(りんざいしゅう)、曹洞宗(そうとうしゅう)、黄檗宗(おうばくしゅう)の三つ。
中国では五家七派と呼ばれる(臨済、潙仰、曹洞、雲門、法眼の五家に加え、臨済から派生した黄龍派、楊岐派の二家を入れたもの)七つの宗派がありましたが、主となって残ったのは臨済宗と曹洞宗のみでした(因みに黄檗宗は臨済宗派生です)。
日本で最初に開花したのが、栄西(ようさい・えいさいとも)が唐で学んで日本に伝えた臨済宗でした。
栄西と言えば、天台宗の項でも書いたように天台宗総本山の比叡山延暦寺で学んだ僧です。
一体どのような経緯で禅宗を学び、伝えたのかをザックリと書いてみます。
栄西14歳、延暦寺で出家
↓
なんだか天台宗だけじゃなく日本の仏教界が貴族との癒着とかでヤバイ。ちょっと俺中国行ってなんかヒント探してくる!
↓
日本でも勉強はしたけど中国ではこんなに禅宗が流行ってンだなぁ。よし、俺これに決めた!
↓
帰国して臨済宗を開く
栄西が当初したかったことというのは、「臨済宗を開く事」ではなく、「天台宗に新たな禅の風を入れて刷新すること」だったことは書いておかねばなりますまい。
しかし比叡山から猛反対されたり色々あって、臨済宗開祖となったんです。
因みに栄西は「茶祖」と呼ばれてもいますが、厳密に言えば最初にお茶を日本に持ち込んだのは最澄とか空海らへんらしいです。再復活させ定着させた、という意味で栄西は茶祖と呼ばれるんですね。
臨済宗の特徴
んじゃあ臨済宗ってどんな宗派? ってとこにようやく切り込みます。
臨済宗の最も大きな特徴は、「看話禅」(かんなぜん)です。
これは、坐禅をしながら公案(禅問答のこと)について考え、心の迷いを吹き消し、段階的に悟りへと至ろうとする修行です。
また、曹洞宗と異なり臨済宗では壁を背にして坐禅を組みます。曹洞宗は壁の方を向いて坐禅するんです。知っておけば坐禅の向きでキニナルアノ子の宗派がわかりますね☆
さて。禅問答について触れる前に、坐禅の基本姿勢、結跏趺坐(けっかふざ)について知っておく必要があるでしょう。
これは釈迦が悟りを得た時の座り方でもありますし、ヨガでも禅でも使う基本の座り方。しかし、体の硬い方にはただの拷問であります。
かくいう僕は尋常じゃない体の硬さでして、しかし
「結跏趺坐ができるようになるまで禅宗の記事は書かない!」
と謎の決意を過去にしまして、つまり今これを書いているということは少なからず結跏趺坐が出来るようになった――ということです。
毎日ストレッチして足首痛めて頑張ったのです。馬鹿だアホだと言われようが頑張ったのです。
では皆さんやってみましょう。結跏趺坐が出来れば瞑想も深くなる!
たまたまヨサゲな動画見つけたので参考に↑。
偉そうに書きましたが、現段階の僕は瞑想もクーソーもないほど短い時間しかできず、禅問答もなにもなくただただ「痛くない痛くない」と考えながらの坐禅であります。ヨガフレイム!
禅問答
では禅問答。
禅問答というものは、一般的な理屈で普通に考えたってわけのわからんものであります。
そもそもそこに答えなんて無く、その答えを自分なりに考え詰めることこそが修行であり、また、一般的な心の迷いとかそういうのをぶっ壊して取っ払う為のものなのです。
故にラチのあかぬやり取りを「禅問答のようだ」なんて言ったりもしますね。
しかしだからといって無意味なわけは無く、それは必ず悟りを得る為の大きなヒントにもなるのです。らしいのです。
というわけでいくつか有名な公案(禅問答)を載せますので、ちょっと坐禅組みながら真剣に考えてみると何かが見えるかも知れません。
※因みに冒頭で書いた公案は、最も有名な「犬の仏性」という公案のパロディです。
仏教の根本
出家したばかりの僧が趙州和尚に尋ねた。
「私は修行に入ったばかりの者です。仏教とはそもそもなんなのか教えて頂けませんか?」
「朝の食事は食べたかな?」
「はい、食べました」
「それならば、自分の茶碗を洗いなさい」
一切を捨てる
厳陽善信という僧が修行中のこと。趙州和尚にこう訊ねた。
「私は今一切を捨て去り何も持っておりません。この上どうすべきなのでしょうか?」
「捨てちゃいなさい」
「捨てちゃいなさいと言われても、何も持っていないのです」
「その捨てるものは何もないという心を捨てるのです」
南泉斬猫
弟子達が寺に迷い込んだ猫のことで言い争っていた。それを見た和尚が猫をつかみ上げて
「この猫を救いたければこの猫のために何か道理を言え」
と弟子達に言った。弟子達は誰一人道理を答えられなかったので、和尚は猫を斬り捨てた。
その夜、外出先から帰った弟子の趙州は、その話を聞くと履いていた靴を脱ぎ頭に乗せ、黙ったまま部屋から出て行った。
「お前が居たら猫は救えたのに」
と和尚が言った。
風非ず幡に非ず
「動いているのは幡(はた)だ」
「いや、動いているのは風だ」
「動いているのは幡でも風でもない。お前たちの心だ」
祖師西来意
「趙州和尚、達磨禅師がインドから中国へ来られた真意というのは何なのでしょう?」
「庭前の柏樹子」
「いやそういう心の外の話では無くて、禅とは何か、仏法とは何か、と聞いているのです」
「私は心の外の話などしていないよ」
「もう一度聞きます。達磨禅師がインドから中国へと来られた真意は何なので?」
「庭前の柏樹子」
――日常会話でこんなんされたら( ゚д゚)え ってなりそうなのばかりですが、これが公案、これが禅問答なのです。
忘れてはならないのが、公案の最たる目的は「悟りを開くために一般的な解釈だとか概念だとかをぶっ壊して異なる視点で世界を見る」ということです。
それを踏まえて考えてみると、確かに普通の視点では解らないものが見えてくるような気がするのです。
ちなみに、かの有名な一休さんのモデル「一休宗純」も臨済僧です。
なるほど臨済宗に伝わる公案からヒントを得、更に一休宗純の破戒僧っぷりも取り入れ、あの一休さんが生まれたんですね。
禅宗はやっぱり興味が尽きません。