妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

タヌキにもわかる真言宗&空海講座

真言宗と空海の密教を勉強するソワカ!

いよいよ弘法大師・空海(こうぼうだいし・くうかい)のご登場です。

 様々なイメージを持たれているであろう空海と、凄く妖しいイメージがどうしても付き纏う真言宗と密教について、少しでも理解できたらいいな、と思います。

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葛飾北斎画『弘法大師修法図』

 

空海という「人」を見る

天台宗の最澄と並んで評されることの多い空海ですが、最澄とは異なり後年にも数多くの逸話、伝説が作られ、「弘法大師」というキャラが一人立ちし始めてしまったのも事実です。

 

例えば四国にキツネがおらずにタヌキばかりが多いというのも、弘法大師がキツネを四国から追い出した為――という伝説があったりします。

偉大だからこそ多くの伝説が作られたわけですが、反面本当の空海像というのを掴みにくくしてしまった面もあり、やはり今尚「弘法大師・空海」というのはほとんどの場合伝説に見られるような完璧超人空海のイメージのままなのです。

 

――というわけで、この項では伝説的空海像を極力排除して、人として空海がどう生きたのか? をシンプルに追っかけることにしたいと思います。

それが良いのか悪いのかは別として。

 

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 空海と最澄

空海は結構イイトコロの生まれでした。香川県に生まれた空海は、当時は入ることすら難しい長岡京の大学に入学したのですが、途中で退学し、出家します。

中退の理由は、都の繁栄と民衆の貧しさの差を目の当たりにしたことと、どこかのタイミングで仏教の深さに触れたことが原因ではないかと言われています。

空海には「空白の七年間」というものが存在し、31歳で偶然「最澄」の乗る遣唐使の船団に乗り込んでいるのが判るまでの間、どこで何をしていたのかがはっきりとしないのです。

これも当然諸説あり、唐に渡って密教を有りえないほど短い期間で体得して帰国したことを考えると、中国語や梵語(サンスクリット語)、更には様々な経典類を読み漁って備えていたのではないか? とする説が最も自然だと思います。

 

さて。

唐に渡った最澄と空海ですが、状況はかなり違っていました。

まず最澄は遣唐使としてスムーズに唐に渡り帰国しましたが、空海はただの留学生として船団に乗り込んだ身で、更に船は難破し予定より遥かに遅れて唐に着いたのです。

天台宗の項でも書いたように、最澄は大いに帰国を喜ばれましたが、空海はと言うと本来20年は学んで帰らなければならないルールを課されていた留学生でありながら、僅か2年ほどで全てを体得し帰国しまったため、罰則が科せられたものとされています。

故に、再び空海の足跡は帰国直後に不明になるのです。

 

しかし。

朝廷が帰国した最澄に密教の力を期待したことからもわかるように、当時の日本はそういうマジナイめいたものの力をとにかく期待していたのです。

ですから当然、密教をしこたま学んで帰国した空海が一躍時代の寵児となるのに時間はかかりませんでした。

 加えて、空海は多くの密教に関わる仏具、経典類も持って帰ってきており、最澄が空海に助力してまで教えを乞うたのもその辺りが関係していそうです。

 

天台宗を超えて人気になった理由

 なぜ空海の密教が天台宗を超えて人気を得られたのか?

一つは、国が必要としていたのがよりマニアックな密教だった――ということは先にも書いた通りです。

ただそれだけではないと思います。それはずばり空海の真言宗が説いた、教えそのものにあるのです。

天台宗の記事では、「天台宗はあらゆる人にも仏性があるのだという法華経の解釈で支持を得た」のように書いたかと思います。それは仏教思想の大きな転換点の一つとなったは間違いありません。

ただ、「法華経」は確かに誰もが成仏できるんだよ! という事をウリにはしていますが、成仏するまでには永遠にも近い年月(三劫。1劫で宇宙が誕生し壊れるまでの時間。その三倍)を経て、何度も何度も転生を繰り返しながら修行しなきゃならん――という割と無茶な条件があるのです。

一方、空海の真言宗は、大日経を根本の経典とし、「顕教(密教の対義語として使われる言葉。顕かな教え。とにかく密教じゃないその他の宗派ってこと)は現世じゃ成仏無理みたいな事言ってるけど、真言宗では大日如来を信じて修行に励めばこの身このまま成仏できるんだZE☆」としました。これが真言宗の大きな特徴と言われる「即身成仏」です。

 

長い宗教の歴史を見れば明らかですが、民衆はとにかく解り易くってすぐに効果があるものの方が好きなのです。


ふむ。わからん。

 

マントラを唱え秘密の教えをあなたにソワカ!

ではいよいよ密教と真言について踏み込みます。

 

空海は唐に渡り、長安の青龍寺、恵果(えか)より大日経系(胎蔵界曼荼羅)と金剛頂系(金剛界曼荼羅)の両方を学び、日本に持ち込み、更にオリジナルに整理整頓して完成させました。

もうこれはとにかく凄いことなのです。

胎蔵界と金剛界とかその辺に足を突っ込むと梵字に染まり耳無し芳一化しちゃうので避けます。

 

もう色々ワケワカメだと思いますので、ちょっとだけ解説。

 

真言密教では、大日如来(毘盧遮那仏)が本尊。大日如来とは宇宙そのものみたいな如来で、その智慧などを図に現したものが曼荼羅(マンダラ)。

真言密教ではマントラ(真言)と呼ばれる呪文のようなものを用いて心に大日如来を思い浮かべ、手では印を結び、口では真言を唱え、大日如来と一体となることで生きたまま現世での成仏を目指す――という宗派です。

 

で、どうしても妖しいイメージを持ってしまうのは、兎にも角にも真言と密教という二つの妖しい言葉、漢字のせいだと思います。

特に真言(マントラ)。

というのも、ヒンドゥー教の要素を多く取り込んでいる密教の真言は、サンスクリット語で書かれます。意味よりも唱えることに重きを置くのが真言で、空海は元の発音を非常に重視しました。

 

故に空海はサンスクリット語(以下梵語)を熱心に勉強しましたし、真言宗でもそのまま梵語で書き、読むことを定めました。

日本で強引に漢字にされちゃってますが、あれも意味よりもとにかく「音」を優先して似せた結果なんですね。

確かに、godzillaとゴジラとでは印象違いますし、密教では真言で直接仏と会話するようなものですから、漢訳和訳されたカタコト梵語ではダメだろーーと考えるのは自然なことに思えます。

日本で最も愛されている「般若心経」も、最後に真言が出てきます。

僕も般若心経は暗記してたまに唱えているのですが、丁度「即説呪曰(そくせつしゅわつ)」以下の部分が真言です。

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

ぎゃーてーぎゃーてー はらぎゃーてー はらそうぎゃーてー ぼーじーそわか

ですね。最後の部分、ボージーソワカ、ですが、このソワカもそもそもは「スヴァーハー」で、それをなんとか漢字にして、ソワカになったわけです。

こういうのはかなり自然に日本語に溶け込んでいて、「え? それも梵語なの?」というのは多いです。卒塔婆とか。

 

僕は死にましぇん

空海はとにかくマルチな才能を持った人でした。高野山には多くの寺院を建立し、決壊を繰り返す満濃池をすぐに工事して直し、子供の為の無料の学校を開き、若い頃から達筆で多くの書を残してもいます。

そして孤高の天才でもあります。――男色の開祖、などと揶揄されることもあったようです。

面白い説があります。

天台宗のところでも書きましたが、空海と最澄はお互いに仲が良い時期もありました。しかし最終的には弟子の裏切りや経典の貸し借りで喧嘩して決別したのですが……この弟子の裏切りの部分。

噂では最澄はその弟子を誰よりも愛しており、だからこそ勉強のためと空海の元に送ったのに、空海も最澄の弟子が気に入り、愛してしまい、結果帰ることがは無かった……という説です。

真偽のほどは解りませんが、僧と男色は僕の中ではセットなイメージ。そういう痴情のもつれが絡んでたとしたら――引くよりも、人間らしくっていいと僕は思います。

 

で。人間空海は、真言宗の礎を高野山で固め、金剛峰寺は定額寺になり(破格の寺格を与えられた、というほどの意味)、62歳で最後の時を迎えるわけですが……。

なんと、空海は死去したのではなく、入定したのであり、まだ生きているのです

入定とは平たく言えば即身仏になっちゃう修行ですが、まぁこの空海禅定@なう説は真言宗的な常識であり、一般市民にとっては到底受け入れがたい非常識ではあります。

諸記録には空海が「荼毘に付した」(火葬のこと)と書かれているものもあり、そりゃまぁそうなんですが、実際に高野山奥の院では毎日食事と衣服の替えが空海に提供されているのだそうな。

 

まとめ。空海すげぇ。

これだけ文字を使っても、やっぱり真言宗と空海は上手くまとめられた気がしません。勿論、真言宗に限らず他の宗派も深く教義経典に首を突っ込むとソワカなわけですが、空海は知名度と相まって特に妖怪体験できるほどに迷わされます。

つまり――言葉には出来ない、これもまた密教の真言の力――じゃないだろうけれど。

因みに空海の本当の姿を探る研究はまだ始まったばかりみたいです。

謎多き弘法大師空海。興味を持った方は、ぜひご自身でも空海研究してみるときっとソワカです。

 

 

ところで。

この記事を書いている日々の間で、たまたま四国出身の友人と久しぶりに遊びました。

その彼が、空海が生まれ、歩き回ったであろう山で不思議な体験をした――という非常に興味深い話をしてくれましたので、最後にそれを書いて終わりたいと思います。

 

――彼は久々に帰省していたそうです。

それで、たまたま空海と所縁のあるらしい山を一人で散策していたのだそうです。

本当に人気の無い、昼なのにどこか不気味で厳かな山道。

その雰囲気に呑まれたのか、普段経験しないような妙な感覚が彼を包み、彼はふいにある衝動に駆られたのだと言います。

「あ。オ○ニーしたい」

その衝動はすさまじいものだったと言います。

「でもな、オレな……しなかったんや

話はそれで終わりでした。

 

――真面目に聞いて損をした。僕はその時爆笑しながらとても後悔しました。空海全く関係ねぇ。

しかし彼は、性犯罪者の心理をほんの少し解ったような気がした――のだそうです。

なんだこの話は。

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夫、仏法非遥、心中即近。

真如非外、棄身何求。

迷悟在我、即発心速至。

 

仏法は遥かに在らず、心の中に即ち近し。

真如外にあらず、身を棄てて何(いず)くんか求めん。

迷いと悟りは我に在れば、発心すれば速やかに至らむ。

 

空海著『般若心経秘鍵』より

 

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