男郎花となった男達の愛
オトコエシ(男郎花)
愛し合うのは男女だけではない。
今より昔、江戸時代にも、男同士の深く美しい愛はあった。かなりあった。
ここでは、『狗張子』に書かれている男郎花の逸話を紹介する。
(『狗張子』では男郎花が↑画像で使用したオトコエシと同じ植物であるかは解らない点だけは注意)
――時は戦国。
越前国太守「朝倉義景」に仕える小姓「小石弥三郎」は、比類なき美貌を備え、頭も良く、性格も物静かなとても良い男だった。そのため朝倉家の中でも皆に信頼され、慕われていた。
一方、朝倉家の足軽大将に、「洲河藤蔵」という武勇に優れた男がおり、一途に弥三郎の事を恋慕っていた。
武骨な藤蔵は日々をただ弥三郎を想いながら暮らしており、
身にあまり 置きどころなき 心地して 遣る方知らぬ 我が思ひかな
という歌を詠んでいたりもした。
藤蔵の想いは募る一方で、自らを慰めようともその想い収まらず、遂には自らの魂が抜け出てしまうような心地まで覚え、これはもうどうにもできない! と爆発した感情のままに、恋の歌を書いて弥三郎に送った。
その歌の最後には、「君への想いが強すぎて、もう死を待つばかり……」のような事も書いた。
それを読んだ弥三郎は、いたく心に染みて哀れんだものの、
人の為 人目忍ぶも 苦しきや 身一人ならぬ 身を如何にせん
と詠んで返事とした。それを読んだ藤蔵の心はいよいよ乱れ、もう何も我慢することが出来ず、「神に、いや、命に懸けて!」という文を添えてまた歌を書き送った。
また送られてきた歌の情愛に弥三郎も心を打たれ、その晩、藤蔵の元へ忍んで行った。
遂に出会えた二人は、積もり積もった想いを一夜の内に語り明かし、朝になり、涙の別れとなった。
あまりに名残惜しい藤蔵は、また自分の想いを歌にして、
ほどもなく 身にあまりぬる 心地して 置き所なき 今朝の別れ路
と詠みかけると、弥三郎も心は一つと言わんばかりに、
別れ行く 心の底を 比べばや 帰る袂(たもと)に 止まる枕と
と、詠んで返した。
世は戦国時代であり、今日逢えたからと言って明日逢えるかどうかは判らない。
今朝が最後の別れとなるのでは、と思えてしょうがない二人は、一層別れるのが惜しく、泣く泣く離れていったのだった。
運命は非情である。
二人が初めて逢ったその翌日、朝倉家は武田家と合戦をすることになってしまった。
そして足軽大将であった藤蔵はその合戦中に討たれてしまう。
それを見ていた弥三郎は、
「もはや生き永らえる意味も目的も失った」
と嘆き悲しみ、命令を無視して一人騎馬で敵陣へと突っ込んで行き、藤蔵と同じように討ち死にした。
後日、二人の仲睦まじい事を知っていた家臣が哀れに思い、二人を一つの塚に葬った。
すると数日後にその塚から一つの草花が生えてきた。それは男郎花と言って、世に珍しき草花である。
きっと二人の情愛がこの珍しい草花を生えさせたのであろう。
二人の情を知る者達は、この男郎花の株を分けて持ち帰り、各々自分の家に植えた。これにより世の中にこの草花が多く生えることとなったのである。
――というお話。
男女ではない、男同士の恋だからこそ感じる妙な美しさ。そして男同士だからこそ有り得た二人揃っての討ち死に。
アッー!、とか途中で書こうかと思ったのにそれすら許さぬ可憐な恋物語。
同性に恋する感情がどれだけのものなのか、僕には解りそうにないが、どんな恋も、恋である。それだけは間違いない。