神も祟りも妖狐をも恐れぬ男 ~江戸の勇者~
妖怪にとって最も恐ろしい「敵」は、怪異のみならず神様も呪いも祟りすらも恐れない人物でありましょう。
井上円了なんかもそれに当てはまりますが、それより遥か前の、江戸時代にも、そんなゴーストバスターズな男がいたのです。
それは江戸幕府の将軍に八代目徳川吉宗が就いていた時代。
暴れん坊な印象も強い吉宗ですが、同時に大きな改革を起こした人物でもあります。
妖怪は、当時まだ畏怖すべき存在として君臨していました。妖怪がキャラクター化され大ブームを起こすのは江戸時代でももう少し後の話。
しかしこの吉宗の行った改革は、江戸時代にとってだけでなく、妖怪にとっても大きな転換点となったのです。
(因みに、吉宗が改革をしなければならなかった大きな理由は幕府の財政難の為。給料を定めたり、米の価値を操作したり、倹約を強要したりと、全て幕府の財政を救うためです)
でも、タイトルの「神も畏れぬ云々」は吉宗のことじゃありません。
吉宗は改革の一環として、各地の殖産を活性化させる目的で、超細かく全国の特産品だのを調べさせました。
その際、吉宗お気に入りの御庭番をしていた「植村政勝(左平次)」という人物がいます。この植村さんこそ、その男です。
隠密で諸国を回り、多くの地を調べて回った植村さん。
そんな植村さんの情報を纏めた『諸州採薬記(諸州採薬記鈔)』という書に、とんでもない行動が記されています。
植村さんは、ある日那須野の殺生石の元へ来ました。
殺生石と言えば玉藻前に化けていた九尾の狐が退治された後石にされました、それが砕け散って散り散りになり、退治されたのにも関わらずその怨念で動物達を殺す、というとても恐ろしい石であります。
植村さんも、諸州採薬記で「禽獣を殺す石らしい」と書いてます。
んが!
植村さんは何の迷いもなく殺生石を砕きました(!)。
更に味はどうか? とペロリと嘗めました(!!)。
そして「常の石に異なること無し」と書き残しています。
「なんだ普通の石じゃん」という意味。
なななななななんてことをぉぉぉぉぉ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
神も妖狐も無い。まさに妖怪の敵!
「だって仕事だしどうせそんなの迷信でしょ」
と言うかのようであります。
そして極め付けに、
「調べなきゃいけないから持って帰ろ」
と、殺生石を持ち帰るのです(!!!)。
まさか殺生石となって呪いを撒き続ける九尾の狐も、採薬使のおじさんに砕かれ嘗められお持ち帰りされるとは思ってもみなかったことでしょう。
あんた勇者や……。
――こうして、妖狐も恐れぬ勇者らの働きによって、諸国の様々な調査は進み、江戸時代の発展も加速していったのです。
この植村さんが転換点を直接作ったわけではありませんが、この辺りの(吉宗らへんの)改革が妖怪を曖昧で畏怖すべき存在から、皆に愛され親しまれるキャラクター的妖怪に変えていくきっかけになったようです。
こうやって書いてしまえばなんてことありませんが、実際に自分が由緒ある、恐ろしい伝説を持つ石の前に立った時、植村さんのように迷わず砕いて嘗めてテイクアウトできるか? と考えると、僕はできません。
でも、それってシンプルに信心深さとかを計れますよね。
幽霊も妖怪もUFOも何もかも、信じていない人は余裕で砕けちゃう気がします。
そうなりたいか? と問われれば……なんとも言えません。
怪異!