妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

主の為に命を懸けるその気持ちを考えてみたので『月百姿』より「信仰の三日月 幸盛」

『月百姿』より「信仰の三日月 幸盛」

 

『月百姿』より「信仰の三日月 幸盛」

 

月岡芳年の『月百姿』の中でも、「月」が背景や空にではなく兜にあるというのは珍しい。

この絵は戦国武将である山中鹿之介(幸盛)を描いたもの。他の絵とは異なり、ただ凛々しく前を向き構える様が逆にシビレル。

妖怪もこのような男の前では沸くことすらできないであろう。

 

この山中鹿之介という人物は、戦国時代好きな方には説明するまでも無いかも知れないが、とにかく戦国大名としては一寸マイナーな尼子家に仕えた武将である。

 

なぜ鹿之介がこうも凛々しく明治になっても描かれているかというと、なんといっても「悲運」と「忠義」の人だからであろう。

生まれてから尼子氏にずっと仕え、武勇に秀でた名将として多くの戦を生き残り、武功を上げ続けた。

しかし、尼子氏は毛利元就との合戦に破れ滅亡してしまう。

普通ならそれで尼子氏の物語は終わってしまうのだが……

尼子氏への忠義を何より重んじていた鹿之介は、決して諦めなかった。

「必ずや尼子氏を再興してみせる!」

ありふれた将であれば、素直に違う大名に仕えるだろう。いや、有名武将だってそういった鞍替えはよくある。

しかし鹿之介は違った。

激動の戦国時代を「尼子氏再興」の為に生きたのである。

その時の再興軍団を後年「尼子十勇士」と呼んだ。そのリーダー的存在だったのが、山中鹿之介幸盛である。

 

けれども時代は戦国時代。一度滅びた家を簡単に再興させるほど甘くはない。

鹿之介率いる尼子再興軍は織田信長や明智光秀、羽柴秀吉らの軍に参加し、何度も死地を潜り抜け、再興の時をじっと待っていた。まさに「忠義」!

しかし運命は残酷なもの。信長らと手を組み、上月城を拠点に調略などで協力していたのだが、信長傘下であった別所長治が謀叛、という大事件が起きる。そしてそこにつけこんだ毛利軍が播磨地方を攻めはじめ、上月城も包囲されてしまい、最後には尼子軍も降伏せざるをえなくなった。

またも、毛利にやられたのである。

鹿之介らが擁立していた尼子勝久は、戦国の習い通り切腹させられたが、鹿之介は命は助けられ、毛利方へ護送されることとなった。

しかし……その護送中、何者かに暗殺され、命を落としたのである。

まさに「悲運」!

 

そのようにして、山中鹿之介幸盛は「忠義と悲運の武将」として後世まで語り継がれたのである。

 

――ところで。一生を懸けてまで忠を尽くす人物に出会うというのはどういう気持ちなのだろうか?

それは恋ではないだろう。恋人を守りたい、という気持ちに似ているのかなと少しは思うが、完全に同じではないはず。

性別や色恋関係無く、純粋に「この人の為なら」と思える人物……僕は多分まだ出会ったことがない。惜しい人物ならいるが、命を懸けれるか、と問われれば「やだ」と答えるだろう。

きっと本当にそういう人物に出会った時と言うのは、信仰心にも似たものが芽生えるのではないか、と思う。

良くも悪くも、熱狂的な宗教者の多くは主の為にならなんだってする、と偽りなく思っているように感じる。

お信仰。

おを付けるとカリカリポリポリおいしそうになる。

(↑信仰に付いて数分間考えまくった結果書いた一行の酷さに全僕が泣いた)

 

 

とにかく、全てを踏まえれば、『月百姿』の画題の「信仰の三日月」も納得なのである。