妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

井上円了が妖怪撲滅を目指した理由

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井上円了(いのうええんりょう)

安政5年(1858年) ~ 大正8年(1919年)

 

円了は新潟県長岡市にある真宗慈光寺の長男として産まれた。

23歳の時に東京大学に入り、哲学を学ぶ。

丁度その頃、世間は文明開化である。哲学の合理的な考えに魅かれ、未だ江戸時代からの迷信を引きずり妄信し続ける民衆に嫌気が差していた円了は、迷信打破、すなわち妖怪の撲滅を持って世間を正しい方向へ導こうと考えた。

 

つまり、円了はやはり哲学者であり、哲学者として妖怪という迷信を撲滅し、世の人に正しく物を見る力、考え方を身につけて欲しい、と願っていたのだ。

 合理主義の哲学にとって、妖怪はまさにその対となる存在である。故に、円了はあえて対極の妖怪と生涯をかけて戦ったのである。

 

ただ、やはりその妖怪への向き合い方が今日においても賛否ある理由だとは思う。

妖怪愛好家にとっては円了のしようとした事は「一番やってほしくないこと」なんじゃないかと思うし、特に娯楽と割り切って愛された江戸時代の妖怪達は「そんなことしたらもうオレラの存在意義が……」と思うかも知れない。

 

また、円了をあからさまに批判した柳田國男は円了とは全く違う方向で妖怪を研究した。それは民俗学であり、日本文化である。

ただ、これに関しては円了が言った「妖怪という学問は全知全能の学問」という言葉について触れておきたい。

僕も妖怪図鑑で妖怪を調べていると、本当に妖怪というヤツはあらゆる分野から突き詰める事ができるモノだとよく感じる。

心理学、地質学、物理学、民俗学……とにかくなんでも必要なのだ。

 

それを踏まえて考えると、円了も柳田國男も、「ある側面から見た妖怪」であり、どっちが間違ってるとかじゃないのは明白。

柳田が円了を批判した最たる原因は、円了がそういった民間に伝わり育まれてきた妖怪を愛でるのではなく「排除」しようとしたからなのだろう。

まぁ……解り合うのは難しいやね、お互いの立場上。

 

 

「あらゆる分野から妖怪を見れば、必ずそこに『道理』が見える。

さすればそれは最早妖怪でも不思議でもなくなる。

現状の技術云々で未だ人知外にあり、妖怪と呼ばざるを得ないものもあるだろう。

しかし昔妖怪と呼ばれたものが今では妖怪ではないと解ったように、今まだ解らぬモノも、必ずいつかは解明され、妖怪ではなくなる。

つまり私(円了)は、この世に妖怪など断じて存在しない、と言おう」

 

なんとブレの無い円了の哲学であろうか。

しかし合理主義の塊である円了も、もしかしたら、という気持ちはあったようだ。

つまりは、あらゆる分野から調べても解明できない超理的モノがある可能性。

そして、それこそが円了の言うところの「真の妖怪」になる。

曰く――そのいわゆる大妖怪は、「師曠の聡」あるも聴くべからず、「離婁の明」あるもみるべからず、「公輸子の巧」あるもさぐるべからず、声もなく臭においもなく、実に妖怪の精微、かつ至大なるものなり。

 

う~む、さっぱりわからん。

ただ、円了は「超理的存在が真の妖怪だとしても、そもそも人が知ることができる超理的なモノなんてその時点で超理的じゃないし、本当に超理的ならそもそも人は知れないよね」と書いていることから、真の大妖怪なるものはどう頑張っても知りえない、という事になっちゃうのだろう。

! 心か! やはり心なのですか!!?

 

――正直な所、僕には円了が目指した「妖怪(迷信)の撲滅」が世の中を正しい方向へ導くとは思えない。

事実、世界の大部分は迷信で動いているし、迷信に救われてもいる。

円了もそんなことは解っていたのだろう。

それでも生涯を賭して妖怪撲滅をしようとしていたのには、もっともっと、深い理由があるのかも知れない。

 

今の段階で井上円了を良く知らぬ僕にとっては、皮肉にも円了を「妖怪」のように感じちゃう。