妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

狐狗狸さん(こっくりさん)を暴いた井上円了

狐狗狸さん(こっくりさん)

 

数年前に大ブームとなり、禁止する動きまであった「コックリさん」は今でもそのやり方を知っている人は多いのではなかろうか。

 

しかしそれがどこに起源があり、果たして本当に霊的な現象であるのか否か、を見事暴いたのは妖怪博士である井上円了その人であることを知っている方は少ないであろう。

 

前にこの図鑑内の記事でも書いたが、井上円了は妖怪を「心これなり」と言った人物であり、哲学者でもある。

今度いつかもっと盛大に井上円了記事は書こうと思っているのでここでは省くが、とにかくこの人は「妖怪を根絶する」ことを目標としていた人である。

しかしそれは悪い意味では無く、なんとなぁく不気味なものとかまで全部妖怪にしちゃう風潮を(江戸から明治期にかけてのものだと思われる)無くすべく、「ぶっちゃけそれ妖怪じゃないよね」というものは徹底的に省き、そうすることで浮かび上がる本当に不可解な「大妖怪」を見つけることを目指しているものである。

 

例えば『遠野物語』で有名な柳田國男なんかは井上円了を批判していたりするが、僕は井上円了の本を読むと素直に「物凄い情熱を持った妖……じゃなくて変態だな」と感心するのである。

なんというか、本当に何かに憑りつかれているかのように妖怪と呼ばれるものの真理を追究するのである。

 

――で、その情熱に絡め取られて暴かれたものの一つが、この「狐狗狸さん」である。

 

まず狐狗狸さんが何か知らない方の為に説明しておく。

多分、近年ブームになったこっくりさんは、文字や数字の書かれた紙の上に硬貨などを起き、それを数人で指で押さえ、「〇〇〇ちゃんが好きな人は?」とこっくりさんに尋ねると、指で押さえた硬貨が勝手に紙の上を動き、その人の名前を示す――みたいなもの。

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画像は拾いものだが参考までに↑。

 

んが、円了が暴いた当時のこっくりさんは、随分形式が違う。

井上円了の『妖怪学』より引用すると――

その法、生竹の長さ一尺四寸五分なるもの三本を作り、緒をもって中央にて三叉に結成し、その上に飯櫃の蓋を載せ、三人おのおの三方より相向かいて座し、おのおの隻手あるいは両手をもって櫃の蓋を緩くおさえ――

とある。

ちょっと画像が無かったので描いた↓。

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多分こんな感じ。

 

で、未来の事を聞いてみたり、〇〇〇さんの年齢を聞いてみたりすると、足が浮いたり、お櫃が傾いたり回転したりと色々なアクションが起きて、それで占うわけである。

 

で、明治時代にもコックリさんブームがあり、円了はこう考えた。

「ばかな愚民どもがこんなくだらん事を信じちゃって、これは文明の進歩を害したり、悪いヤツが悪用して金儲けを企んだりするに決まってンだから俺が暴く!」

円了のカッコいいところはそれは綺麗ごとではなく、実際に何度も何度も色々な人を集めてコックリさんをやり、追求しまくるところ。

そして円了は度重なる実験から不思議な事に気付く。

 

「学のあるヤツラばっかり集めてやると、コックリはそんなに動かない。無学なヤツを集めてやると、やっぱりそんなに動かない。でもそこに更に婦人を混ぜてやると、よく動く。試しに婦人を混ぜたメンツで、棒の長さを変えたり、飯櫃じゃない板でやってみたりすると、これでもやっぱりよく動く――ふむふむなるほど」

 

因みに円了は本文にて、「愚民はコックリが動かないと、今日は不吉な日だ、とか、不善なヤツが混じってるからだ、なんて決めつけて本当の原因を探ろうともしないんだから笑っちゃうね」みたいな事を書いている。結構キツイ御仁である。

 

次に円了は、徹底的にそのルーツを探ろうとする。

まず円了は東海地方にその名残があることを見つけ、更に戦国時代の信長や徳川氏の代にもこれが行われていたことを知る。そしてついに、コックリは下田港から起こり、それはアメリカの難破船に乗っていた船員が伝えたものであることを突き止めた。……その情熱がすごい。

 

そして、その船員が伝えたものが「テーブルターニング」という西洋の占いの一種であることと、素材が無かったからそこらへんにある物(つまりは棒と飯櫃の蓋)で代わりにやったのであろう、という事に気付いた。

 

コックリの名前については、お櫃の蓋が頷くように動くことから「こくり」、転じてコックリ、更に強引にそれっぽく字を充てて「狐狗狸」としたのだろう、と書いている。

 

――この後も延々と円了のコックリ暴きは続き、最終的に「潜在意識、精神作用、不覚筋動」でした、という事で話が終わる。

ちょっと長くなるのでそこまでの流れは省くが、円了は実に例え話が巧く、いちいち読みながら「なるほどね」と納得できる。

 

↑の文では最終的な結論が解りにくいだろうから僕なりにかいつまんで説明すると――

 

・コックリさんは、まず不安定なツールで複数人でやることに意味がある(これは現代での硬貨を用いたのでも同じ)。理由は簡単で、一人の些細な動きが大きな動きへと変わりやすいし、複数人で同じツールに手を(指を)置くという慣れない行為は不覚筋動(意識しないのに筋肉が動いちゃうこと)を誘発しやすく、これまたツールの大きな動きに変わりやすい。

 

・厳かな雰囲気の中でやればやるほどコックリさんは動きやすい。それは、単純に「それっぽい」雰囲気が心に作用し、不安定になり、ツールの動きになりやすいから。最初におまじないを唱えるのも、効果抜群。理由は同じ。

 

・未来の事はたまに当たるけどほとんど外れる。それに対して過去の事は結構当たる。それは当然、潜在的に「知っている」ことは無意識下でも作用するから。結局百発百中じゃないんだから所詮占いの域を出ません。

 

・婦人を混ぜた時によく動いたのは、信仰心が生まれやすいから。信仰心とはつまり「コックリさんを信じやすいかどうか」でもあり、信じやすい人ほど潜在意識が不覚筋動を起こしやすい。故に学のある学生でも、無学な学生でも、無信心だったから多分だめだった。

 

 

そんなこんなで見事コックリさんを暴き、今ではwikiに載る「テーブルターニングが起源」という情報も円了の功績に他ならない。

妖怪を科学的に解明して撲滅してやる! という姿勢は妖怪図鑑管理人としてちょっと怖いのだが、それでも熱意を持ってちゃんと暴く円了はなんだかかっこいいと思う。

 

今後、井上円了も突っ込んで調べてみるつもり。