ドッペルゲンガーと影の病(かげのやまい)
影の病(かげのやまい)
影の病とは、知名度のある言い方をすればドッペルゲンガーのようなもの。
自らの影を見てしまうことで死んでしまうという怪異である。
その多くは精神を患った際の幻視だと言われてはいるが、大勢の人物が同時にドッペルゲンガーを目撃した事例もある為、ただの幻視だけでは説明しきれないのも事実。
そして日本では、離魂病と似たような性質のものとして伝承が残っている。
『日本古文献の精神病学的考察』という古書に載っているもので、こういう話がある。
――北勇治という人が自宅に帰って自分の部屋に入ると、机に向かっている人の後ろ姿があった。
「は? 何勝手に上り込んでオレの机占領してんの?」
と思いながら眺めてみると、髪の結いかたも着ている着物も帯も、普段の自分そのままだと気づいた。自分の後姿は見た事ないけれど、きっとこういう感じなのだろう、という見た目。
顔を見ようと近寄ると、その者は背中を向けたまま障子の開いた隙間からするりと廊下に出て、走り去ってしまった。追いかけてみたが、そこにもう姿はなかった。
家族に話してみたが、誰も聞く耳を持たない。ただ、勇治が話すのを聞く家族は、どこか様子がおかしかった。
そしてその年の内に、勇治は病にかかり死んでしまった。
家族達は頭を抱えてこう言った。
「これで三代続けての影の病だ。勇治には話さずにいたけれど、やっぱり今回も駄目だった」
――不気味な話である。
この逸話では勇治以外の者が影を見た記述はないため、あくまでも勇治自身の幻視と捉えることができるかも知れない。
となると勇治は幽体離脱でもしていたのか、それとも単に病が齎した幻覚か。
ただ、病にかかっていない状態でも、そのようなちょっとした錯覚というのは起きるし、誰でも案外経験あるのではないかと思う。
「お! 〇〇〇君!」
と思って話しかけたら全然違う人だった――みたいに。
また、人の顔というのは系統があり(自論)、アヒル系、猫系、犬系、鳥系等に分類できるが、同系統の中では「〇〇〇君にそっくり!」なんていうのはよくある。
いやこれほんと。
ほんの僅かに口元の歪み具合が違うだけ、とかザラにいる。
そう考えると、単に似た人を見た、というのが大勢の中で目撃されたパターンのドッペルゲンガーの正体じゃないかと僕は思っている。
↑の話みたいな場合は解らん。
話は少し逸れるが、僕は毎日鏡を見る際、かなりの確率で見覚えの無い誰かが写る。
やつれて、ちょっと疲れた、おっさんの顔である。
僕は普段から「元気ハツラツ爽やか笑顔を振りまく好青年」である筈なので、ちょっと嫌な気分になるのだ。
今度その鏡買った店にクレーム入れてやる。