妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

天下三大美少年の一人「不破伴作」

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『和漢百物語』より「不破伴作」

 

高下駄を履き、傘に飛びつく妖怪にキリっと見栄を切るのは不破伴作(ふわばんさく)という男。

この不破さん、かの太閤豊臣秀吉の事を書いた『太閤記』にも登場する実在の人物。豊臣秀次に仕えたが、十八歳という若さで切腹して果てた(歴史上でも有名な、秀次に謀反の疑いがかけられ、秀吉より切腹命令が下った秀次事件。その際に小姓として仕えていた不破伴作も殉死した)。

 

それだけ見れば悲劇の若人なのだが、こうも後の世で持ち上げられたのは不破が相当な美少年であったかららしい。

戦国時代などは男色も普通にあったのは言うまでもないだろうが、それ故に美女以上に美少年と言うのも名が残るものなのだ。

 

そしてそんな悲劇の人、不破伴作は、歌舞伎や浄瑠璃などでのモデルとなり、芳年が描いたこの絵も「不破伴左衛門」という名になっている不破伴作モデルの人物。

古寺を通った際に妖怪に襲われる不破を描いたものだが、天下の美少年は胆力も凄まじく、逆に睨み返している。

この襲ってきた妖怪に関しては正体不明とされており、芳年の絵でも真っ黒な、かろうじて見ることができる程度に描かれているのが珍しくって良い。

 しかしこの絵、見れば見る程芳年らしい面白い絵になっている。

絵の所々に、『新形三十六怪撰』にも通じる「錯覚」を思わせるような、「そう見えなくもない」箇所が多く存在している。例えば傘の上の化け物も、一見すると猫や狸にも見えるが、膝と思われる部分がドクロのように見えなくもない。

『新形三十六怪撰』でも、このように「そういう怪異は人の錯覚なんだよ」と言っているかのような絵が多くあるが、それを描く遥か前の若き芳年も、同じように思っていて、ブレることのない芳年の一つの「怪異に対する答え」としてあったのだろう。

 

全く、月岡芳年という人はいちいち考えさせてくれる天下に誇る名浮世絵師である。