妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

雷嫌いな秀吉さん 『和漢百物語』真柴大領久吉公

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『和漢百物語』より「真柴大領久吉公」

 

有りえない軌道を描いて降り注ぐ真っ赤な雷は、月岡芳年のセンスを感じる。

こちらの「真柴大領久吉公(ましばだいりょうひさよしこう)」は、かの有名な羽柴(豊臣)秀吉の逸話を描いたもの。

画中解説文にもあるように、秀吉と言えばごく普通の家に生まれながらに最終的には天下人に上り詰めたアメリカンドリーム……いや、立身出世の手本とも言うべき人物である。

人心を掴むことの天才とも言われ、合戦においても数々の「奇抜」で「天才的」すぎる策を操る男であったが、どうやら雷だけは苦手だったようだ。

というのも秀吉は自分で建てた寺が落雷にあって全焼しちゃう、という雷運の悪い経験が多いからである。

 

芳年が描いたこの絵は、秀吉が「弘法大師がなんぼのもんじゃぁぁい!」と高野山を攻めるべく視察に来ていた時の逸話。

どうやら秀吉は弘法大師の逆鱗に触れたらしく、突然激しい雨と雷に襲われ、引き返したのだという。

雷の妖怪と言えば、この妖怪図鑑でも紹介した雷獣(かみなり)が思い浮かぶが、そういえばカミナリ斬りの逸話を持つ立花道雪も戦国武将だった。

戦国時代と雷は良く似合う。

 

――さて、秀吉と高野山の因縁というのは浅からぬもので、元を辿れば織田信長が喧嘩をふっかけたのだった。

信長の大六天魔王的振る舞いの一つとして、比叡山の焼き討ちなどは有名だと思うが、そのころから高野山の信長に対する不満は募っており、後に信長が高野山攻めを決意するのもそのような経緯から高野山が信長に敵対の姿勢を見せたことがきっかけとなっている。

しかし高野山は本能寺の変で信長が死んだことにより、うやむやになった高野山攻めのお蔭でなんとか攻められずに済んでいた。

しかし信長の仇を取った秀吉が、そのままスルーしておくはずもなく、高野山に圧力をかけたのだが、仲介者のお蔭もあって高野山側は秀吉に服従することを決め、後々にはむしろ仲良くなって母ちゃんの墓所を建てたりした。

 

もしかしたら、秀吉は弘法大師の雷圧力で少しビビり、優しく高野山を説得することにしたのかも知れない。

 

――余談だが、月岡芳年は多くの秀吉画を描いている。特に『月百姿』においては秀吉の絵が二枚もあるという大盤振る舞い!

稲葉山の月

『月百姿』より「稲葉山の月」

 ↑は稲葉山城の闘いにおいて、秀吉が一夜にして重要ポイントであった墨俣に一夜城を築く時の様子。身体を張った猿の芸当である。こうやってうんしょうんしょと山登りしたかは知らん。

 

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 『月百姿』より「志津か嶽月」

 こちらは悠々と月明かりの元で法螺貝を吹く秀吉。なんとも貫禄があってかっこいい。

 

天下を収める人物というのはどうしてこうも人間離れした妖怪のような人物ばかりなのか?

秀吉といえばサルであり、家康といえばタヌキである。

成程、より長く天下泰平の時を続けられたのは家康。そりゃタヌキのほうが化けるのは上手いのだから仕方ない。