妖怪うぃき的妖怪図鑑

妖怪うぃきから産まれた妖怪図鑑ブログ。妖怪の原点に触れ、もっと魑魅魍魎を知るきっかけになれば幸いです。

月岡芳年『和漢百物語』左馬之助光年

左馬之助光年
『和漢百物語』より「左馬之助光年」
 
明智左馬之介、と言えばピンと来る方もいるだろう。
この左馬之助光年(さまのすけみつとし)は、本能寺の変を起こした事でも有名な明智光秀の右腕的重臣であった人物。明智秀満が正しい名前。
妻は光秀の娘である。
そういえばカプコンのゲーム、「鬼武者」でも金城武モデルの主人公は明智左馬介だった。どうでもいいんだけど。
 
――さてこの左馬助、明智光秀の右腕と言われる男だけあってその武勇もかなりのもの。なかでも有名なのが、琵琶湖を馬で泳いで横断したと言う「明智左馬助の湖水渡り」。
 
これは本能寺の変のあと、最後に光秀が討たれる名勝負となる山崎合戦で光秀が敗走したとの報せを受けた左馬助が、立ちはだかる秀吉軍を振り切るべく琵琶湖の中へ突っ込んで泳いで渡ったというもの。
そのお蔭で左馬助は追っ手を振り切り、光秀らの妻子がいる坂本城へと辿り着いたのだった。
しかしその後の顛末は儚く、左馬助が到着した時には既に手遅れ。城を囲まれた左馬助や光秀の一族らは、最後は自刃して果てたのだという。
 
で、この芳年の描いた絵であるが、これは左馬助のずっと若い時の逸話を描いたもの。入江長兵衛という左馬助と仲の良かった人物の娘が、白ギツネたちにたぶらかされて困っているのを知った左馬助が、その正体を見破り退治する、という逸話。
解説文には↑のようにしか書いていない為、一見狐達がただのワルモノのようにも思えるが、実はその狐達が長兵衛の娘に悪さしたのは、過去に左馬助が妊娠している狐を命乞いされたのにも関わらず殺してしまっているから。
それを知っているとどっちもどっちな感じになる。
 
とはいえ、絵にも見えるように狐火やススキなどで人間を惑わそうとする狐にも全く動じていない左馬助は大物である。