秋風のふくにつけてもあなめあなめをのこはいはしすゝき生けり
『新形三十六怪撰』より「秋風のふくにつけてもあなめあなめをのこはいはしすゝき生けり」
この怪異はご存知小野小町の悲しい最後を匂わせる、在原業平(ありわらのなりひら)を中心に据えた伝説の一つを描いたもの。
業平という人物は、平安時代の歌人であり、六歌仙の内の一人(六歌仙とは『古今和歌集』において紀貫之が選んだ良さげな歌人六人のこと。平安時代の有名な歌人六人――と思っておけばOK)。
小野小町も六歌仙に入っており、唯一の女性だった。
因みに小町は超絶美人として有名だが、業平は超絶イケメンだったらしい。
その為業平にはスキャンダルも多く、この絵の伝説の発端も、業平が身分の高い女性に手を出し、それがバレて罰として髷を切り落とされてしまい、「恥ずかしいから髪が伸びるまで旅でもしよーかなぁ」ということで旅に出た道中での出来事。
故に↑の絵では短髪業平である。
さてある夜、あるあばら家で業平が宿を借りていた時のこと。
草むらから歌を詠む声が聞こえてきた。
「秋風のふくにつけてもあなめあなめ」
(訳:秋風が吹くたびに目がいてぇいてぇ)
!?
と業平は驚き、辺りを見回すが(↑その時の絵かと)誰もいない。それだけでなく、今聞いた歌が上の句だけだったことも気になった。
しかし「まぁいいや」と眠りに着いた業平は、翌朝もう一度辺りを探してみることに。するとなんと目からススキの生えた髑髏が転がっていた。
なんだかわからないが業平は髑髏に手を合わせることに。すると丁度通りかかった村の男が、
「それは小野小町の髑髏でしょう。都で名をあげた美女だったそうですが、恋にも疲れ、ここに戻ってきて死んだのです」
と教えてくれた。
業平は涙を流し、
「をのこはいはしすゝき生けり」
(訳:小野小町の最後とは言うまい。ただススキが生えてるだけさ)
とイケメン下の句を昨晩の句に付け足し、また旅を続けた――
小野小町に纏わる伝説や逸話はかなり多く、また伝説に依っては関わる人物との時代がズレていたりと、かなりカオス。どこかでも書いたが、実在した可能性は高いものの確たる証拠が無く、美女であったかも妖しいらしい。
その為美女の代名詞に用いられる他にも、「つかみどころの無い、よくわかんない存在」というニュアンスで小町の名が使われることも多い。
また、この髑髏伝説からも感じられる「どんな美女も老いるのだ」という教訓にもよく使われ、芳年も老いた小町を描いている。
『月百姿』より「卒塔婆の月」
絶世の美女も、美男子も、なんだか妬みも込めていいように噂され描かれてしまうのを見ると、幸か不幸かわからなくなる。
顔に惚れるのではなく、心に惚れたいものですな。